謎の城絵図、発見の宝庫 真田丸や江戸城の構造解明
江戸初期の城郭絵図集「極秘諸国城図(ごくひしょこくしろず)」(松江歴史館蔵)が注目を浴びている。NHK大河ドラマで描かれた真田丸のほか、江戸城の天守などについて新たな発見が続いているためだ。
今月下旬、長野県の松本城管理事務所の後藤芳孝研究専門員が、松江市にある松江歴史館を訪れた。同館所蔵の「極秘諸国城図」に収録された松本城の絵図「信州松本」を調査するためだ。
松本城の天守の建造時期は戦国時代末期から江戸時代初期まで諸説あるが、天守に付随する辰巳附櫓(たつみつけやぐら)と月見櫓は1633年ごろに増築されたことが文献から分かっている。しかし、絵図は2つの櫓を描いていない。「江戸初期の松本城は不明な点も多く、この時期の姿を記録したとすれば、とても重要な史料といえる」と後藤氏は指摘する。
全国74城を収録
絵図集は全国74城の絵図から成る。江戸城や大坂城、姫路城、犬山城、岡崎城、上田城などのほか、1614年の大坂冬の陣で徳川家康が本陣を置いた茶臼山や、家康の子、秀忠が本陣を置いた岡山などの絵図も含まれる。一方、松江城や彦根城、松山城など有名であっても収録されていない城郭も多い。
絵図集が注目を集め始めたのは昨年のことだ。大坂冬の陣の際、豊臣方の真田信繁(幸村)が大坂城の南端に築いた真田丸について大坂城の一部というより、ほぼ独立した出城だったことを物語る。
家康が築いた江戸初期の江戸城については、大天守が2つの小天守と連結し、入り組んだ通路で城内への敵の侵入を遮断する構造を採っており、堅固な要塞としての姿が明確に読み取れた。2枚の絵図は、従来の見方を覆す城郭の性格や築城主の意図をまざまざと見せつける。
こうした新たな発見が続くのは、絵図集の存在が昨年まで事実上、忘れ去られていたためだ。絵図集は、1953年、松江城の大改修の際、松江市に市民から寄贈された。しかし、松江が誇る松江城の絵図が含まれていなかったことから、地元の研究者にあまり注目されず、60年以上の長きにわたって、放置される結果となった。
転機が訪れたのは、昨年。甲府城の改修の参考にするため、山梨県の研究者が同館に閲覧を申し込んだことがきっかけで、絵図集の存在が広く知られることとなった。「(NHK大河ドラマで)昨年話題を呼んだ真田丸について、タイミングよく新たな発見が得られたことも大きかった」と、同館の木下誠学芸係長は振り返る。
松江藩が制作か
制作の詳しい背景は謎も多いが、絵図集を収める袋に「元禄五年」(1692年)と明記されている点は大きなヒントとなりそうだ。また、江戸期の城の絵図は大きな紙を用いるのが一般的で、一辺が2メートルを超えるものも珍しくない。これに対し、絵図集の74枚はすべて、縦30センチ、横40センチ程度の小さな紙で統一されている。「元禄五年までに様々な城の絵図を模写し、手元で閲覧しやすいように編集したのではないか」と木下氏は推測する。
では、何のために制作されたのか。絵図集を調査し、真田丸や江戸城の新発見を導いた奈良大学の千田嘉博教授(城郭考古学)は「城郭の絵図は当時の最高機密。用兵や戦術を研究する軍学のため、松江藩が制作したと考えるのが自然だ」とみる。松江城が収録されていない点については「松江藩にとって松江城の構造は周知の事実。あえて研究の題材にする必要はなかったのでしょう」と話す。
同館は今年中をメドに同館の公式サイトで74枚の絵図を公開する予定で、全国の研究者にも広く閲覧を呼びかける。すでに調査の申し込みが多数舞い込んでおり、今後、さらなる発見も期待できそうだ。
(大阪・文化担当 田村広済)
[日本経済新聞夕刊2017年3月27日付]
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