1984年のUWF 柳澤健著
「真剣勝負」を旗印にした団体
本作を読みながら、ある米国映画を思いだした。「レスラー」である。ミッキー・ロークが老プロレスラーの晩年の哀(かな)しさを熱演し、プロレスというアウトサイダー世界を詩情豊かに謳(うた)いあげた名作だ。
矛盾するようだが、あの映画の詩情性は、センチメンタリズムから離れてリアリズムを追求したことから生まれている。リングに上がる前に控え室で試合内容の打ち合わせをするレスラーたちの姿まで描き込み、当時のプロレスファンを驚愕(きょうがく)させた。しかし、プロレスがリアルファイトなのかフェイクなのかを論じない限り、リアルスポーツに対してプロレスが持つ本当のアドバンテージは語れない。それを描いたからこそ、映画「レスラー」は名作たりえた。
柳澤健の本作は、そこをさらにシビアに追求した大作である。
UWFはクーデター未遂から生まれた特殊な団体だ。そのため既存団体と一線を画したかのように見せるリアルファイトを売りにしていく。だが「真剣勝負」を喧伝(けんでん)したUWFが実はもっともプロレス的団体になっていったことを、柳澤は多視点から照射する。しかしそれはけして怒りでも非難でもなく、志を異にしながらも奇跡のようにUWFに集結した選手たち、佐山聡や前田日明や高田延彦に対する称賛であり、プロレスを社会現象にまで高めたUWFへの畏怖である。そしてUWFと時代を伴走できたことへの感謝だ。それこそがUWF信者たちの現在の共通の気持ちではないのか。
UWFを追うコアなファンを「密航者」と名付けたのは当時の「週刊プロレス」編集長、ターザン山本だ。私自身もその密航者の一人だった。藤原喜明の脇固めという関節技を研究して柔道の得意技にしていたくらいである。だが、本作にも出てくる中井祐樹(北海道大学柔道部で私の3期下)と同じようにUWFがフェイクであると看破した時点で気持ちが離れた。しかし柳澤や中井と同じように、あの時代にUWFという夢と伴走できた青春に感謝している。UWFは私たちの夢だった。
私の本棚に『1976年のアントニオ猪木』『1964年のジャイアント馬場』などと並び、昭和プロレス史の完結編ともいえるUWFが加わった。しかし稀代(きだい)の書き手、柳澤のプロレスサーガはこれから平成編を紡いでいくだろう。なぜならUWFは「その後」というドラマを多く産み落としたからだ。ファンが次に期待するのは『1997年の高田延彦』かもしれない。
(作家 増田 俊也)
[日本経済新聞朝刊2017年2月19日付]
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