シリア難民 パトリック・キングズレー著
苦難の旅程と状況の叙述 交互に
難民になるというのは、どういうことだろうか。難民から多額の金銭を奪い取っている密航業者とは、どのような人々だろうか。密航の取り締まりの実態はどうなっているのだろうか。なぜ密航が止まらないのか。止められないのか。現場の実情は、どうなっているのだろうか。
イギリスの高級紙「ガーディアン」の難民問題の担当記者のパトリック・キングズレーが、欧州に密航しようとするシリア人に密着取材して、こうした疑問に答えている。同時に著者は欧州、中東、北アフリカの各地を取材して、この問題の鳥瞰(ちょうかん)図を描いている。タイトルは「シリア難民」だが、記述は現在の難民問題の全体像を射程に収めている。深く広い本である。
つまりこの本は、見かけはシリア難民を語る1冊の本のようなふりをしているのだが、実は2冊の本である。1冊は、著者が旅程の大半を同行して取材したシリア人のスウェーデン到着までの苦難の記録である。そして、もう1冊が難民のおかれている全般的な状況の叙述である。
それぞれの本の章が交互に出てくるので、読者は一方で難民として旅をしているような気になりながら、他方では、その人物の置かれている状況を俯瞰(ふかん)できる。難民として国境をさまよいながら同時に神のように問題の全貌を見る仕掛けになっている。
それでは、なぜ難民が発生するのか。それは、シリアにしろエリトリアにしろアフガニスタンにしろイラクにしろ、難民の出身国の状況があまりに酷(ひど)いからだ。アフリカの砂漠を越える際に道に迷って死ぬ可能性があろうが、地中海で溺れる危険があろうが、人々は欧州を目指し続ける。既に故国で地獄にいるのだから、いかに欧州への道中が悲惨であろうが、壁を作ろうが、何をしようが、難民の流れは止まらない。
難民を押し出す地域の状況の改善が望めないとすると、それでは、どうすれば良いのか。唯一の「現実的」な対応は、一定数の難民を秩序だって受け入れる制度の確立である。
欧州は世界で一番豊かな大陸である。各国で応分に受け入れれば、百万人単位の難民でさえ総人口5億の欧州には、それほどの負担ではない、と著者は主張する。だが、こうした対応が政治的に「現実的」でない点に問題が凝縮されている。
難民問題は他人事ではない。朝鮮半島有事の際には北朝鮮がシリアになる。日本に覚悟と準備はあるのか。
(放送大学教授 高橋 和夫)
[日本経済新聞朝刊2017年2月5日付]
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