新潟の氷菓「もも太郎」 メーカーは創業100年の老舗セイヒョー、冬開拓へ「もも太郎デラックス」も

氷菓製造のセイヒョー(新潟市)は、イチゴ味のかき氷をイメージした氷菓「もも太郎」で知られる。1964年の新潟地震による工場の被災や、OEM(相手先ブランドによる生産)受注の減少といった数々の難局を乗り越えてきた。1916年の創業から100年が過ぎ、自社商品に磨きをかけて次の礎をつくる。

2016年9月には「もも太郎」の派生商品として、冬場の需要開拓を狙った「もも太郎デラックス」を発売した

新潟県内のコンビニエンスストアや食品スーパーの売り場には桃をイメージしたパッケージのもも太郎が並ぶ。発売されてから70年超、多くの県民が子供の頃から親しんだ商品で、新潟のソウルフードといえる存在だ。

重さ135キログラムの角氷を砕き、いちご味のシロップを混ぜて凍結して作る。かき氷のような食感とさっぱりとした後味が特徴だ。もともと祭りの屋台で提供されていたかき氷から着想を得て商品化された。

イチゴ味なのに「もも太郎」という名前は当時の屋台で、桃の形をした木型にかき氷といちごシロップを入れたものが「もも型(がた)」として販売されていた。そのため「もも太郎」という商品名が付けられたという。

主力氷菓「もも太郎」を中心に売上高を伸ばしてきた(佐渡市内の工場)

同社は1916年、新潟製氷として新潟市でスタートした。同市が港町として栄える中、喫茶店などへ業務用や家庭用冷蔵庫向けの製氷に加え、サイダーなど清涼飲料水の販売も手掛けていた。

会社としての下地を築き上げたのは2代目社長の高杉石蔵と3代目の高杉儀平だ。主力となる「もも太郎」をはじめ、50年代の経済成長と軌を一にして、氷菓や清涼飲料水の販売を伸ばしていった。

最初の危機は64年の新潟地震。新潟工場(新潟市)が浸水や半壊するなどの大きな被害を受けた。次に同社の経営を揺るがせたのは2010年の明治からのOEM(相手先ブランドによる生産)契約の打ち切りだ。きっかけは明治の生産体制の見直しだった。当時売上高の約2割を占めていた同社向けのOEM受注がなくなり、新たな柱をつくる必要に迫られた。

同社が注力したのは自社商品の強化だ。天候に左右されやすい氷菓ではなく、通年で販売が見込めるアイスクリームや和菓子の販売を拡大。14年にはアイス商品として「Partyバニラアイス」などの販売を開始した。「OEMに頼らない収益構造を目指してきた」(田辺俊秋取締役)。

生産体制も見直した。15年には佐渡工場(佐渡市)のアイスと和菓子の製造をそれぞれ新潟工場(新潟市)と三条工場(三条市)に集約するなど製造コストの削減を進めてきた。一連の策が奏功し、16年2月期の単独最終損益は6100万円の黒字に転換した。

16年9月にはもも太郎の派生商品で、イチゴソースをバニラアイスで包んだ「もも太郎デラックス」を発売するなど冬場の需要開拓に知恵を絞る。経営理念の一つである「過去にとらわれることなく常に前進する会社」を目指し、市場を切り開く。

(篠原英樹)

注目記事
今こそ始める学び特集