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ブック、おススメの1冊

わたしはこうして執事になった ロジーナ・ハリソン著 英国上流社会と使用人の世界

2017/1/22付 日本経済新聞 朝刊

『おだまり、ローズ』で読者を喜ばせてくれた著者の2作目が、すぐれた翻訳で出た。本書は男性使用人の世界を、著者の聞き書きで生き生きと伝える。登場人物は5人の男性で、生い立ちもさまざまなら、性格、語り口も異なるし、生きた時代にも違いがある。

(新井雅代訳、白水社・2600円 ※書籍の価格は税抜きで表記しています)

最初はゴードン・グリメット。労働者階級出身で、やんちゃな子供時代を送ったのち、男性使用人の世界に足を踏み入れる。20世紀初頭にお屋敷奉公をして、執事にならないまま商売の世界に転じてかなりの成功を収めた。その聞き書きは生き生きと元気溌剌(はつらつ)、上流階級および使用人の世界が真の意味で生きていた時代を彷彿(ほうふつ)とさせる。読んでいると、ゴードンの時代はお屋敷が会社で、使用人たちは社員だったのだと思えてくる。

だが、何といっても興味深いのは次に登場するエドウィン・リー。前作でローズが奥様と丁々発止のやりとりを展開したアスター家の執事だった人物である。それだけではなく、このリー氏こそ執事の鏡のような人物なのだ。著者曰(いわ)く、「リー氏の人生にはイギリス人のすぐれた面がふんだんに表われて」いる。激烈なアスター家の奥様でも「彼はまたとない宝物」だと断言しているのだ。名作『日の名残り』の執事スティーブンスかと思いきや、違った側面がうかがえるのも楽しい。

ほかの3人にも興味深い話題が満載で、読書の醍醐味をふんだんに味わわせてくれる。しかも耳にしたことがないようなエピソードが含まれているのも興味をそそる。ジョージ・ワシントンなる聞いたことのあるような名前。苦労の末に執事になった彼の回想にこんな話がある。ホランド・ハウスなる屋敷で働いたときのこと。「ホールボーイ」という仕事をしていた彼には役得があった。ワインの空き瓶とコルク栓を業者が買い取ってくれる。大した金額ではなくとも、第1次大戦後の不況下ではうれしい話だ。しかもヴィンテージ物のコルクとなると、引き取り値が跳ね上がる。一方、コルクを買い取った側はよからぬ連中に転売し、偽造ラベルが貼られた安酒の瓶の栓として使われる。

珍しい話題満載の本書だが、時代が進むにつれて、お屋敷の世界と使用人の世界にも大きな変化が訪れて、古き良き黄金時代が失われていく姿に一抹の寂しさを感じる。とはいえ、早朝から夜中まで働かされる使用人は大変なのだが、著者の聞き書きのうまさからか、明るく愉快な世界が展開されるのだから、読後感は楽しい。

(帝京大学教授 小林 章夫)

[日本経済新聞朝刊2017年1月22日付]

わたしはこうして執事になった

著者 : ロジーナ・ハリソン
出版 : 白水社
価格 : 2,808円 (税込み)

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