町の境目に不思議発見 「境界協会」が今日も行く
「境界協会」主宰、小林政能
自分の住む町の境目を実際に歩いた経験があるだろうか。身近にあるのに意外と気づかない境界線。40年近く地図にかかわってきた私は、実際には目には見えないこの境界線を探し、その謎やいわれを調べてきた。趣味が高じて「境界協会」を立ち上げ、仲間と境界歩きも楽しんでいる。
小学生のとき家族で北海道を旅行し、たまたま有珠山の大噴火に出くわしたことに衝撃を受け、地形や地学に興味を持った。地図とはそれ以来の付き合い。大学では地形学を専攻、民間の測量会社を経て、一般財団法人日本地図センターの職員に。地図一筋の人生だ。
* * *
公園内で行政区またぐ
境界線に興味を持ったのは、10年ほど前から東京で開いている子供向けの地図教室がきっかけだった。自分の住む市区の境界をペンでなぞる作業を見ているうち、線が敷地の真ん中を突っ切り、妙に折れ曲がる不自然な場所があるのが気になり始めた。
目黒区なら、品川区との境が林試の森公園、世田谷区との境が駒沢公園の中を貫いている。中央区の龍閑児童遊園と千代田区の龍閑児童公園は一続きの公園だが、境界線で分断され両側で名前が異なる。こうした"境界物件"は結構あり、同じ敷地に建つマンション2棟が別々の行政区となっていることも。郵便や宅配の集配はおろか、子供の学区まで違ってくる。
不思議な場所は挙げればきりがない。23区西端の練馬区には、北側の埼玉県新座市にぽつんと離れた「西大泉町」飛び地がある。東端の江戸川区東篠崎町では、東側を流れる江戸川の上にあるはずの千葉県市川市との境界線が消えて、「境界未定地」になっている。
* * *
毎回30~50人集う
実際の境界線沿いを初めて踏破したのは葛飾区。都区内で唯一、千葉・埼玉両県と接する同区の境界線は、荒川・江戸川などの河川や、川跡暗渠(あんきょ)などの上を走り、蛇行だらけ。場所によっては彼岸・此岸(しがん)の言葉がぴったりくるほど向こう岸を遠くに感じた。
歴史的な事情で入り組んだ境界もある。例えば台東区と文京区。西日暮里から暗渠の上を南下する区境は、不忍池の北側でなぜか大きく北に折り返し、東京大学の北東部あたりで再び南に転じる。江戸時代の古地図で調べると、まさに武家屋敷のあった向丘と寺社地・町人町との境に由来するとわかった。近くにはその名も「境稲荷神社」があり、境界好きの"聖地"と呼びたい。
「境界協会」を名乗り、仲間を募って定期的に町歩きし始めたのは3年前。毎回30~50人集まり、観光地でもない土地、細い裏路地を下を見ながらぞろぞろ歩くのだから、端から見ると不審に思われるかもしれない。
この集いには見つけるとうれしい"萌(も)え"ポイントがいくつかある。自治体の境界プレートがぴったり寄り添って矢印の先が合わさった「境界キスマーク」。異なる区の住所標識が仲良く並ぶ「境界標識地」。その反対に「隣の区民はこちらにゴミを出すな」といった貼り紙などは「境界紛争」勃発地として認識する。
同じ道路なのに途中で舗装方法が変わったり、同一区内なのに道がずれて通っていたりする場所は「境界不整合」と呼ぶ。例えば墨田区内には大きな道が突然消失し、小さな道が不自然にずれている場所が目立つが、これは戦後間もなく統合された旧向島区と旧本所区の区境に由来する。
3つの区境が交わる「トリプルジャンクション」や、4つの区境が近接してある「境界密集地」も見どころだ。都区部にはわずかな距離の間に4区が近接する「三大境界密集地」がある。
* * *
活動の成果を書籍に
東京区部が活動の中心になるのは、歴史的に変化に富み、古地図などの史料がそろいやすいためだが、ほかにも面白い境界はたくさんある。たとえば渡良瀬遊水地近くの栃木・埼玉・群馬の県境は畑地の真ん中の平地にある非常に珍しいトリプルジャンクションだ。また、山梨・埼玉・長野の境界が山頂で接する甲武信ケ岳なども、いつかじっくり探索してみたい。
これら境界歩きの成果を記した『知って驚く東京「境界線」の謎』(実業之日本社)を昨年出版した。興味ある方はぜひ地図を片手に、町の境界を歩いてみてはどうだろう。土地の地形や歴史にもっと愛着がわくはずだ。
(こばやし・せいのう=「境界協会」主宰)
[日本経済新聞朝刊2017年1月20日付]
ワークスタイルや暮らし・家計管理に役立つノウハウなどをまとめています。
※ NIKKEI STYLE は2023年にリニューアルしました。これまでに公開したコンテンツのほとんどは日経電子版などで引き続きご覧いただけます。