そこに低い山があるから 全国行脚し272の低山制覇
「低山倶楽部」隊長、加藤浩二
「こんな山登りもあるのか」。2000年6月、大阪の天保山の山頂からの景色に感動を覚えた。標高は4.53メートル、山頂まではわずか数歩、目の前はすぐ海だ。登山とはとてもいえないが意外なほど充実感があった。低い山を巡る旅はそこから始まった。これまで全国47都道府県を周り、272の低い山を制覇した。
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やぶかきわけ山頂へ
何をもって「低い」とするのかと思われる方もいるだろう。私の定義では(1)標高が50メートル以下(2)各都道府県の最も低い山、のいずれかとしている。(2)は50メートル以下の山がない地域もあるためだ。
低いからといって、登るのが楽とは限らない。7~8割の山は獣道を含め、何かしら道のようなものがあるが、残りはやぶに覆われている。そのため、かきわけながら山頂を目指すことになる。ほとんど情報がないためルートは自分で判断しなくてはならず、足場が悪いこともある。気は抜けない。
特殊な場所にある山も多い。静岡県の舟山(43.7メートル)は安倍川の中州にある。最初に行ったときは川の流れが急で、中州に渡ることすらできなかった。天気がいい時期、水かさが減ったのを見計らって再挑戦。山登りのはずが、アユ釣りの格好で出かけ、腰まで水につかってようやくたどりついた。
新潟県の鳥越山(50メートル)はこれまで訪れた中で唯一、山頂を踏んでいない。海岸沿いで海にせり出すように立っている。コンクリートで固められており、岩がいくつもせり出している。崖は垂直に切り立ち、下を走る車が豆粒のように見える。途中まではなんとかたどり着いたものの、危険すぎて山頂は断念した。
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1日で15カ所登頂も
高校、大学時代はワンダーフォーゲルやハイキングに熱中。会社員としての仕事の合間を縫って「日本百名山」もすべて制覇した。もともとは多くの登山愛好家と同じように高さや美しさを求めていた。天保山に出合ったのは、ちょうど百名山を登り終えて、喪失感を抱いているときだった。
興味を持ってネットで調べてみると当時、国土地理院の2万5000分の1の地形図には低い山の定義に当てはまるものが全国に149座あった。ゆっくりと登るつもりだったが、やりだすととまらない。2001年から登り始め、05年には全ての山を制覇した。多いときには1日で15カ所登ったこともある。
149座を登り終えて、次は地図には載っていないが、地元の人が愛着を持って名前をつけている山に取りかかった。実は、地図に載っていない山は全国に数多い。地形図の担当者らの判断で、地図から名前が消えることがあるためだ。天保山も1993年に地図から名前が消えたが、地元の有志の活動によって返り咲いた経緯がある。
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「日本一」は3メートル
このように、地図上の山は消えたり、生まれたりしている。仙台の日和山は東日本大震災の津波により、山肌が削られ更地になってしまった。標高は6メートルほど、天保山にその座を奪われるまで、国土地理院の地形図に載っている山としては日本一低かった。私も訪れたが、野鳥の楽園で、美しい緑が印象的だった。
数年たった今、日和山があった場所には標識が立てられ、訪れた人々がケルン(積み石)を積んでいる。その成果か、現在の国土地理院の電子地形図では日和山の標高は3メートルと記されている。日本一低い山となった日和山が復興の一助となることを願ってやまない。
登るうちに、低い山の歴史や文化にも興味を持つようになった。人里に近い分、生活との関わりが深い。里山、古墳、城山などが低い山の定義に当てはまることが多い。特に多いのが神社だ。社の名前がそのまま山の名称になっている。そのため、神社が廃れると、山も忘れられてしまう。山の名前は、人々の暮らしの痕跡なのだ。
登りたい山はまだまだ増え続けている。低山巡りは日本を再発見する旅でもある。低い山を通し、地域の歴史や文化を知る。背景に隠された物語を楽しみつつ、低い山登りを続けていきたい。
(かとう・こうじ=「低山倶楽部(くらぶ)」隊長)
[日本経済新聞朝刊2017年1月18日付]
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