写真家・新井卓さん 19世紀の技法で撮る「核」の世界
19世紀前半に発明された「ダゲレオタイプ」という技法で制作する、世界でも数少ない写真家の一人だ。
ヨウ素、臭素で感光膜をつくった銀板に像を焼き付け、水銀蒸気をあてて現像する手間と時間のかかる技法。銀板を動物の皮で雑巾掛けするように磨き上げるのに数時間、自然光のもとでの撮影では長時間露光する必要がある。「肉体労働そのもの」だが「せっかちなタイプなので、現場に長時間いることを強いられるダゲレオタイプでなければ、表現が浅いものになっていたかも」と話す。
米国の水爆実験で被爆した第五福竜丸に関する展覧会に招かれたのを機に、2010年ころから「核」のテーマに取り組んできた。
あるとき東京都立第五福竜丸展示館から放射性降下物「死の灰」入りのシャーレを預かった。これを撮影しようと近くの公園に三脚を設置し、足を踏み出した瞬間、視界がぐらりと揺れた。11年3月の東日本大震災だ。その後は「撮らないといけないと思うものが『わらしべ長者』のように次々に現れた」と振り返る。
福島、広島、長崎、そして人類史上初の核実験が行われた米ニューメキシコ州のトリニティ・サイト――。自作したダゲレオタイプの機材や現像用のテントを車に積んで現場を巡った。
それらの作品は、わかりやすいメッセージを代弁する「シンボリックで直接的な写真」ではない。「本来は無色透明な写真が、言葉(キャプション)の色を付けると全部が染まってしまう」ことに危機感を持ち続けてきた。
たとえば、原爆ドームや第五福竜丸の船体を数十から数百枚のパーツに分割して撮影し、モザイクのように再構成した大型作品。被写体を同じ地点からではなく、様々な角度から撮影。それらを寄せ集めたキュービズム絵画のような作品は細部へと視線を誘う。広島の原爆ドームでは、1カ月半かけて1枚ずつ撮影した。
「原爆ドームを反核・平和の象徴と一言で片付けてしまう前に、建物の外壁の焼け焦げ1つに目を凝らしてみれば、皮膚感覚で迫ってくるものがある。そこに自分が立っていると感じられるような生々しいリアリティーを引き出したい」
鏡面に刻印されているダゲレオタイプは、視線を少しずらすと像が消えたり、自分が映り込んだりする。見ることを強いる、あるいは「見えないものを見ようとする体験に近い」と後になって気付いたという。
18歳ごろ、祖父からカメラを譲られて「一度見えなくなったものが現像することで出てくる。あの世に行ったものが戻ってくるような」不思議な感覚に興味がわいた。写真が趣味の祖父は第2次大戦時の海軍技術将校。激戦地ラバウルに捨ててきた写真を戦後、1人の米軍兵士が届けにきたと聞かされたことも、写真がとどめる「記憶」を強く意識するきっかけになった。
引き延ばしも複製もできないダゲレオタイプは1枚限りの写真。だからこそ「パーソナルな記憶をつなぎとめる小さなモニュメントになりえる」と語る。「人間は私やあなたがいたという事実を残したいがゆえに写真を発明した。その意味で家族写真こそが本当の写真かもしれないと思う」
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活動の幅 アジアにも
抜群の行動力で国内外を飛び回りながら、思索をかさねる。
子供時代の夢は「船乗り」。高校時代は文学にはまり、ランボー、P・ボウルズ、金子光晴などを読みあさり、専門誌に詩を投稿した。大学では生物学を学ぶが「成績不良で中退」。美術館の写真講座に参加、「写真の根源を見たい」とダゲレオタイプを独学した。
28日からの個展「Bright was the Morning―ある明るい朝に」(横浜市民ギャラリーあざみ野)では旧作のほか10代の肖像を撮る新シリーズを発表する。インタビューを重ね、「彼らをとりまく状況は甘くない」と痛感したという。「考え方が固定化し保守的。ユニークだなと感じる子は学校をドロップアウト。日本の将来を考えると、どこか薄ら寒い」。いまは撮影の対象をアジアの若者に広げつつ、彼らとかかわりあうため、写真以外にも活動の幅を広げようと模索している。
(編集委員 窪田直子)
[日本経済新聞夕刊2017年1月11日付]
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