うたごえの戦後史 河西秀哉著
「国民皆唱」から女性たちの歌へ
なんとも、なつかしい主題だ。四半世紀前、私が初めて一般向けに書いた論文は「カラオケボックスのメディア社会史」(1992年)だった。そこで「うたごえ」集団主義から「カラオケ」個人主義への歌唱行動の変化を考察している。合唱文化史に「うたごえ運動」を再定位する著作の登場をまずは喜びたい。
合唱文化は明治期に「秩序正しい社会」、すなわち国民国家の形成にむけて西洋から輸入された。しかし、合唱が余暇活動として広く普及したのは「国民皆唱」が叫ばれた戦時期である。40年に発足した大日本産業報国会が主催した「勤労者音楽大会」など厚生運動の実績が詳しく紹介されている。生産性向上のため、合唱による職場の「協同」、すなわち階級対立の解消が目指された(第1章)。
こうして戦時体制下に「大衆化」した合唱は、戦後民主主義の潮流に棹(さお)さして発展を遂げた。労働運動では合唱が秩序だったデモ行進を可能にすることも期待された(第2章)。うたごえ運動は共産党の文化工作の一環として組織され、その指導者には戦前からプロレタリア音楽家同盟で活動していた関鑑子(あきこ)が就任した。50年代には反基地闘争や原水爆禁止運動が盛り上がり、うたごえ運動は党派性を超えて広まった。そこでは「原爆を許すまじ」など平和運動歌だけでなく、ロシア民謡などが多く歌われた。アメリカ帝国主義から日本民族の独立が目指されたため、「メーデー八木節」など日本民謡も多く活用された。関はその功績により56年にソビエト連邦から「スターリン平和賞」を授与されている。しかし、「60年安保」以後うたごえ運動も路線対立などで分裂し、その運動は衰退していった(第3章)。
それに代わって台頭するのが小学校のPTA活動と連動した「おかあさんコーラス」である。全国大会の名称は70年に「家庭婦人コーラス」、翌71年に「ママさんコーラス」と変化したが、そのブームの背景には高度経済成長期の「女性の専業主婦化」があった(第4章)。
こうした合唱運動の展開は、『たそがれ酒場』(55年)から『百万人の大合唱』(72年)をへて『くちびるに歌を』(2015年)にいたる「合唱映画」の分析を通じて確認されている(第5章)。
現在も自ら合唱団に参加して歌っている著者は、終始「一緒に歌うこと」の可能性を追い求めている。その点で、カラオケ個人主義に染まった読者は、ちょっと気圧(けお)されるかもしれない。
(京都大学教授 佐藤 卓己)
[日本経済新聞朝刊2016年12月18日付]
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