写真家・鷹野隆大さん 「毎日写真」日常切り取り個展
影を通して「距離」を撮る
男性ヌード作品で知られる写真家、鷹野隆大が、20年ちかく取り組んでいるプロジェクトがある。日々の何気ない日常を切り取る「毎日写真」だ。このうち「距離」がテーマの作品を紹介する個展が、東京都内2カ所のギャラリーで開かれている。
「こんにちは」。11月末のよく晴れた日、鷹野は待ち合わせした駅の改札にふらりと現れた。ダウンコートにコットンパンツのラフな服装で、手にはコンパクトカメラを携えている。
自宅に向かう途中、何回かシャッターを切った。商店街の真ん中で何を撮ったのか尋ねると「歩く人に電線の影がまっすぐに落ちているのが面白くて」。なるほどと納得していたら「でも、撮った時には、もうずれていたんだけど」と言われて拍子抜けした。
「毎日写真」は文字通り、毎日撮るスナップを指す。ヌードモデルがなかなか見つからず、何カ月も撮影しない日が続いたとき「何してるんだろう」と疑問がわいたのがきっかけだ。
これまで、正午に同じ場所で撮る東京タワーのシリーズや、特徴のない雑然とした街を切り取る「カスババ」シリーズが生まれた。「きれいとか、懐かしいとか、あるいは『変だな』と思ったときシャッターを押す。それがなにか確かめたいというのが動機」
ユミコチバアソシエイツ(新宿)の「光の欠落が地面に届くとき 距離が奪われ距離が生まれる」(24日まで)では、灰色の地面に落ちた人影を写した12点を展示している。入ってすぐ目に飛び込むのは、天井から垂れ下がったロール紙印刷の大きな作品だ。
子どもとおぼしき小さな影と、大人の首から下のビヨンと伸びた影。2人の実際の大きさや遠近感がつかめず、一瞬、混乱する。どの作品も地面で重なり伸び縮みする影が妙にリアルで、画面上に別世界が出現したような奇妙な感覚がわく。
「写真は平面だから、距離感や立体感が消える。それがずっと嫌だった」。ところが5年ほど前、たまたま階段の壁を見て驚いた。数人の影の連なりのなかに、人と人の「距離」が浮かび上がっていたという。ここから始まったのが影シリーズ。場所は地下鉄竹橋駅の階段の踊り場だ。うまく影が落ちる午後2時ころに通い、撮影を繰り返した。
一方、ナディッフ(恵比寿)の「距離と時間」(1月9日まで)は、ビルのはざまの道路を写したピンぼけのモノクロ写真が並ぶ。「細部を捨てることで『距離』が見えるようになった」。奥行きのみが際立つ画面を眺めていると、圧倒的な時間や空間の広がりの中に放り出された気分になる。2つの個展に共通するのは目の前の現実が匿名化され、ゆがみ、ぼやけ、足元が危うくなる感覚だ。
ヌード写真で性のあり方に切り込み、近代都市の姿や身体性を写真で問い直してきた。「今回は、距離や時間という自然界の法則を写真に変換しようと試みた。これからも新しい表現を手に入れたい」と語ったあと、笑顔で「踏ん張りすぎると折れるから、ふわふわした感じで」とひとこと。理知的に、しかし優しく、世界をとらえるまなざしが、作品の魅力なのだろう。
◇ ◇
「受け入れる」創作姿勢
作家活動を始めて間もないころ、中年男性のヌードを被写体にした。「かっこいい写真」を撮ろうと照明やポーズに工夫をこらし、「自分のイメージを追いかけた」。撮影が終わり「余っていたフィルムを、ただ消費するためだけに」ゴロゴロしているモデルを何枚か撮った。
後日、プリントを見てぎょっとした。「最後の写真が気になって仕方なかった。おなかが出てたるんだ醜い姿で、普段は隠しているものをふいに見てしまった気まずい感覚。だけど、ものすごく生々しくて、モデルの存在感にどきりとさせられた」。1年ほど葛藤した末に「自分の負けを認め、美意識を捨てた」。以後、撮る姿勢が180度変わったという。
「撮ることは、対象を受け入れること。イメージに合わせて作るものではない。無限に広がる世界を受け入れ、どこまで写せるかが写真家の仕事だと思い知らされた」
(文化部 佐々木宇蘭)
[日本経済新聞夕刊2016年12月7日付]
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