雪上フェス、積もる自信 新潟・十日町で10年開催
豪雪JAM事務局長、樋熊篤史
「唯一無二の野外雪上フェス」。近年は音楽フェスのブームで日本各地に様々なイベントがあるが、僕たちが新潟県十日町市で行う豪雪JAMは、このキャッチフレーズで勝負している。
実施場所は全国有数の豪雪地で、時期は真冬の2月。白銀の野外ステージで演奏を聴けるのは珍しく、全国から観客が集まる。来年2月の開催で節目の10年目となり、立ち上げから運営に関わってきた僕も感慨深い。
「地元がつまらない。出て行こうかな」。きっかけは友達のため息だった。僕は東京で起業し、故郷の十日町に帰ると同級生と酒を飲んだが、後ろ向きな言葉を何度も聞いた。長い不景気で地方が寂れ、十日町も活気が失われた時代だった。
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寺イベントで思い立つ
故郷に戻るつもりだった僕は悔しさをかみしめて、友達の話を聞いていた。そして、この町で生きることへの自信を取り戻す、そんな何かをしようと模索を始めた。
そんなとき、十日町の寺の境内で開かれた音楽イベントを見た。2007年の11月だったか、初雪が降るなかで音楽を聴いて「これだ!」とひらめいた。
新潟・苗場のフジロックフェスティバルに飲食店を出していた僕は、全国から大勢の人を集めるフェスの力を体感していた。各地に広がったが、真冬の雪上フェスは聞いたことがない。それを十日町で行えば面白いと思い、すぐ行動に移した。
同年12月、34歳のとき、同級生ら15人と実行委員会を結成。美容師にホテル業、土木業と、音楽興行には素人の集団でがむしゃらに動いた。音楽と旅がテーマのフリーペーパーを編集する知人が東京にいた。彼の協力をもらい、ミュージシャンにメールや電話でじかに出演交渉。「雪のなかのライブかい。やってみたい」と関心を持ってくれ、バンドの「らぞく」「FLY」など6組から快諾を取り付けた。
十日町には幅35メートルの立派な野外ステージがある。これを名物の「十日町雪まつり」期間外に使えるよう市に企画書を提出し、許諾を得た。設営や宣伝も急ピッチで準備を進め、08年2月17日の第1回開催が決まった。
1回目は大変だった。開催前日の夜に大雪が降り、翌朝にかけ平野部で約80センチ積もった。豪雪地でも2月では珍しい降雪量だ。練りに練った会場のレイアウトや当日のプランを直前で白紙にせざるを得なかった。観客スペースの除雪は不可能と判断、急きょステージに客を上げることに。ステージには小上がりの舞台がついていて、そこでミュージシャンが演奏することにした。
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「また来る」に励まされ
過酷な天候でも、地元のほか関東から約600人が来場してくれた。それでも大赤字だった。僕たちスタッフはテントに積もった雪を降ろしたり、通路を確保するため雪を踏み固めたりと、作業に終日追われてグッタリ。だが終了後に「一面の白銀の世界で音楽を聴けて神秘的だった。また来たい」とうれしい言葉をもらい、翌年以降も開催を続ける力に変えた。
2回、3回と毎年2月に開催し、回を追うごとに手作りの運営もこなれてきた。「滑るのでスニーカーは厳禁」「ダイブ&モッシュ禁止。おしくらまんじゅうOK!」。雪上フェスならではのフレーズで安全配慮を促し、スムーズに出演バンドの交代ができるようにステージの隣に楽屋に使うテントを設営した(逆に言えば、そんなことも知らずにやっていた)。
お客さんは回を追うごとに増え、13年の第6回は最高の総入場者数3350人を記録。なかでもリピーターが目に見えて増えて、バスを貸し切って東京から駆けつけてくれるようになった。
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補助金なしの手作り感
リピーターたちが言うには、雪のなかで音楽を聴くと「音のこもりがなく、スカーンと抜ける感じで気持ちいい」らしい。「厳寒を覚悟していたが意外と暖かくてビックリ」とも。さらに「スタッフのおもてなしが温かくて、アットホームな雰囲気が最高!」と最高の褒め言葉をいただいた。
行政の補助金をもらわない、市民手作りのフェスが内外から人を呼ぶ。それは町の人々の自信になり、豪雪JAMに続けと工芸のイベントを開く人が現れるなど、いい循環が生まれた。当初の目標の「この町に自信を取り戻す」はかなえられた。
僕は09年に十日町に移住。整骨院とカフェを営みつつフェスに関わる。今後は雪の中でのキャンプ体験「雪中キャンプ」なども企画し、音楽だけでなく雪の世界を楽しめるイベントに育てていきたい。
(ひぐま・あつし=豪雪JAM事務局長)
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