試行錯誤に漂う 保坂和志著
淡々と考えて書いた末の奇跡
試行錯誤という言葉の意味は、本来は文字通り何ごとかを試みては誤(あやま)ちを繰り返すことであり、多くの場合、試行錯誤を経て望ましい結果に辿(たど)り着くものとされる。つまり錯誤を伴う試行はことの成就のために必要なまわり道だと思われている。ところが保坂和志は、いや、そうではない、試行錯誤のただ中に留(とど)まること、結果に飛びつかずにそこで漂い続けることこそが、人生を豊かにするのだと説くのである。成就とか達成とか完成とかはない。あるように思えたとしてもそれこそが誤ちなのだと。
このことを保坂はこの本そのものによって実践してゆく。したがって本書はあたかもいきあたりばったりのように、とりとめもない感じで進んでいく。もとは連載だが、話が続いているところもあれば、いきなり変わってしまうこともある。かと思えば、だいぶ経(た)ってからまた同じ話題に戻ってくることもあり、全体としては不思議なことに、或(あ)る一貫性を帯びた内容となっている。思いつきで書いているように見えて、それは実際たぶん思いつきなのだが、そうであるからこそ、幾つかのテーマが緩やかに繋(つな)がっていって、やがて通底する音調のようなものが次第に聞こえてくる。これは計算してやっているのではないだろうが、かといって完全な無意識の産物でもない。ただひたすら淡々と考えること、考えながら書くことが、そういう一種の奇跡を可能にする。考えるのも書くのも彼の生活、日々の一部であるのだから、それはやはり人生の問題でもある。
保坂は自分の仕事である小説について考えようとする。小島信夫、カフカ、ベケットという彼の読者にはお馴染(なじ)みの名前が並ぶ。だがそれはすぐに違うジャンルや別の分野へと横滑りしていく。ピアニストが日々ピアノを弾くこと。ジミ・ヘンドリクスやデレク・ベイリーのギター、長嶋茂雄の「素振り」のエピソード、死刑囚たちが描いた絵の展覧会の話、キリスト教、フロイトやラカンの精神分析、等々。多くの固有名詞が出てくるが、それらについて知識や情報を与えるようには書かれていない。共通するのは、ひたすら淡々と、ということ、つまり試行錯誤である。「表現や演奏が実行される前に、まずその人がいる。その人は体を持って存在し、その体は向き不向きによっていろいろな表現の形式の試行錯誤の厚みに向かって開かれている」。そう、試行錯誤には「厚み」があるのだ。それは「世界」それ自体の厚みでもある。
(批評家 佐々木 敦)
[日本経済新聞朝刊2016年12月4日付]
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