ストロベリーライフ 荻原浩著
日本農業の明るい未来と家族
ハートウォーミングな家族物語を書かせたら当代一の名手が、新しい感動物語を私たちに届けてくれた。そこには、「直木賞受賞第一作」という花が添えられている。
主人公は望月恵介、36歳、グラフィックデザイナー。11年勤めた広告代理店を辞め、フリーで仕事を始めて2年になる。手タレ(手専門のパーツタレント)だった妻の美月と5歳児の銀河、3人で東京に暮らしている。
仕事の依頼があまりこないことに悩んでいると、静岡の生家から「父倒れる」の報が来る。急いで駆けつけると、父親は一命は取りとめたものの、後遺症が重く農作業は不可能だという。このままでは、父親が始めたイチゴ栽培がピンチだ。
母親が1人でできることではない。数少ない男手であり、時間が自由になるということで、3人の姉に押し切られ、恵介が引き受けることになる。
子どもの時から「農業は嫌だ」と思っていた恵介だった。そういう彼は、あまりのハードワークに音を上げる。さらに、害虫、病気、農薬、台風などの難題も降りかかってくる。
しかし、必要に迫られ、にわか勉強でイチゴに取り組みだすと、いつのまにか楽しくなってきた。このあたりになると、家族小説というより、近年盛り上がっている「お仕事小説」のようだ。何よりも、読者は無性にイチゴを食べたくなるだろう。
美月は、生家に単身赴任状態になった恵介が、静岡に移住して農業に専念すると言い出すのではないか、と不安になる。
妻を説得できないまま、恵介はデザインの仕事と農業が両立する道を求めて、望月イチゴ狩り農園を開園する……。
現代日本の農業を語るとき、キーワードの一つとして「兼業農家」という言葉がよく出てくる。農業収入だけでは生活していけないので、別に仕事をもつというように、ネガティブな文脈で使われることが多い。それに対して、恵介のそれは、未来志向のポジティブなものだ。別の土地で異なった仕事に従事する。そういう夢も、ネット社会では実現可能なことのようにも思われる。
この本の帯には、「デビューより20年、新直木賞作家がたどりついた〈日本の家族〉の明るい未来図」と書かれているが、これは、「〈日本の農業〉の明るい未来図」としてもいいのかもしれない。
ところで、直木賞決定時の記者会見で、荻原さんが、家庭菜園のキュウリの話を楽しそうにしていたのが印象的だった。
(書評家 松田 哲夫)
[日本経済新聞朝刊2016年12月4日付]
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