戦争・災禍… 声集めるノーベル賞作家、福島で何思う
ノーベル文学賞作家スベトラーナ・アレクシエービッチ氏が来日し、福島県を訪ね、都内で学生らと語り合った。戦争や原発事故に苦しむ人々の声を集め続ける作家は日本で何を思ったか。
「私がチェルノブイリで見聞きしたことと全く同じだった」――。11月28日、東京外国語大学(東京都府中市)から名誉博士号を授与され、記念スピーチしたアレクシエービッチ氏は、集まった学生の質問に応じた。福島市出身の同大学2年生、茂木颯花(さやか)さんが今回訪問した福島の感想を尋ねると、静かに話し出した。
「幾つもの荒廃した村や捨てられた家を見た。人々はどうやって生計を立てていけばいいのか途方に暮れていた。国は人の命に全責任を負うことはしない」。全ての原発をすぐに止めることは不可能としつつ、「これからどうすればいいのか、私たちは考え始めなくてはならない」と訴えた。同氏は先月25日に東京大学で作家の小野正嗣氏と対談。その後27日まで福島県に滞在した。
1冊に500~700人
これまで旧ソ連のアフガニスタン侵攻に参加した兵士やチェルノブイリ原発事故の被害者などの証言を本にまとめてきた同氏。1冊の本に500~700人を登場させ、公的記録には決して残らない「普通の人」の体験や思いを記録した。
独ソ戦で敵から隠れているとき、自分の子どもが泣いたら全員が敵に見つかってしまうと赤子を水に沈めた母親。被曝(ひばく)した夫の口につまった内臓のかけらを手でかき出す妻。逮捕される時に子どもを友人に預けたが、後にその友人が自分を密告したと知る女性――。
彼女がすくい上げたエピソードはどれも壮絶だ。個人の証言を幾重にも積み上げる執筆手法について、同氏は「一人の話は個人の運命だが、百人の話は歴史になる」と語る。その作品は「戦争と死について書くことが、平和と生を強力に擁護するという逆説的な力を持つ」(ロシア文学者の沼野充義氏)と評される。
愛国主義に警鐘
あまたの悲劇を経験しても「ロシアでは新たな愛国主義が台頭し、ソ連時代より恐ろしい時代」とアレクシエービッチ氏。それでも「我々にできるのは、どんな状況でも人間らしさを失わないことではないか」。つらく苦しくても「人々が調和の下に暮らす希望を失いたくない」と語りかけると、盛大な拍手が湧いた。
「あれだけのつらい話を聞いて、なお希望を失わない姿勢を尊敬する」と話すのは、聴講した早稲田大学2年の上野裕史さん。「僕たちも『人間らしさ』を追求し、人を理解する努力を怠ってはいけない」と気持ちを新たにしていた。
◇ ◇
学生とのやり取り 「日本は抵抗の文化ない」
――福島の感想は。
「複数の町や村を訪ね、避難生活者と話した。驚いたのは、日本に抵抗する文化がないこと。ロシアと同じだ。ロシアは全体主義の長い歴史の中で社会への抵抗がなくなったが、日本はなぜだろうか」
――ロシアではアフガン侵攻を再評価する機運がある。
「偉大な国を守っていこうという新たな軍国主義が響いている。ペレストロイカ以降、民主派の指導層は自分たちが何をしようとしているのか国民に説明しなかった。プーチン大統領はマスコミをコントロールし、プロパガンダの影響力を最大限に発揮しようとしている。その結果、ウクライナ人とロシア人が憎み合うという信じられないことが起きている」
――文学に何ができるか。
「宗教や芸術はグローバルなレベルでなく、一人ひとりの心を和らげるという繊細な部分で機能する。我々にできるのは、人間らしさを失わないこと。人は孤独だが、人間らしさを失ってはならない」
――悲惨な出来事を体験した人は、何によって救われるか。
「人は多くのものに救われる。たとえば愛。男女の恋愛だけではなく、小さな子どもの頭や体のにおいをかいだときにも救われる。自然や音楽、そして朝起きてコーヒーを飲むという日常的な行為にも救われる」
――人から話を聞くコツは。
「相手の目や体の動きを見て、初めて質問が出てくる。その人の生活や命を丸ごと受け止めなければならない。話すべきことは必ず見つかる。人生に対するエネルギーがあれば、相手もあなたに潜り込んでくる。人は信じられないほど面白い」
(文化部 岩本文枝)
[日本経済新聞夕刊2016年12月5日付]
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