「限界集落なんて呼ばせない」 山形の農家民宿組合ダムで人口流出の中津川地区、年1000人超を集客

訪日客は台湾からが多いが、英国人らも農家民宿でくつろぐ
訪日客は台湾からが多いが、英国人らも農家民宿でくつろぐ

「ダムの上流で栄えた村なし」「限界集落」。こうした言葉を跳ね返すように首都圏や海外からの集客に成功したダム上流の集落がある。山形県飯豊町中津川地区。大自然あふれる地域だ。農家のお母さんたちが立ち上がり、農家民宿を経営。地区の人口より多い年間1000人を超える人々を集めている。

中津川は山形、新潟、福島3県の県境にまたがる飯豊山の麓にある集落。冬には3メートルを超える雪が降り、半年は雪に埋もれるという豪雪地帯だ。1967年の羽越水害を受けて、81年にダムが完成した。ダム建設で人口が流出し、ピーク時3000人近かった人口は300人にまで減った。

飯豊連峰の麓の農家民宿「いろり」

立ち上がったのが、農家のお母さんたち。2007年に「なかつがわ農家民宿組合」を立ち上げた。他の地域では農家単独だったのに対し、旅行会社が受け入れやすいよう組合をつくった。最近話題の「民泊」ではない。勉強して営業許可をとった「民宿」だ。40代の若手が集う町観光協会が集客を支援する。

海外客は台湾の富裕層が中心。日本を何度も訪れたことがあり、ありきたりの日本の観光地はもういいという人たちだ。毎年訪れる英国人もいる。

農家民宿のきっかけは、スノーモービルツアーだった。雪遊び体験として企画したが、客は他の観光地へ通過していくだけ。町におカネは落ちない。長期滞在してもらおうと始まった。

当初は外国語はしゃべれないと尻込みもした。その点、台湾の人たちなら日本語を話せる人も多く筆談もできる。最後はボディーランゲージで何とか伝えた。

現在、農家民宿を営むのは8軒。収容力は1日40人程度が限界。目いっぱい受けてしまうと、突然の用事に対応できないとあって、限界までは受け入れない。

成功の背景には地区の歴史がある。行商人などは日帰りできない雪深い土地。家に泊める習慣があった。冬の保存食もあった。大自然に負けない生き方に誇りをもっていた。基本、行政には頼らない。

ダム上流の活性化策として、首都圏の子供ら向けの「山村留学」を実施していた。その経験が農家民宿へとつながった。

「限界集落なんて呼ばせない」(農家民宿いろりの女将、伊藤信子さん)。訪れる人たちとの交流は、地域の価値を再発見・再確認させてくれた。客の急病に対応しようと、翻訳アプリを入れたiPadを導入し、無料対話アプリ「LINE」の特訓中だ。

移住者が現れ、子どもたちも増え、高齢化率は下がった。その矢先に、小中学校が閉校となった。「集落の継承・維持装置」が失われた。飯豊町職員で最後のPTA会長を務めた伊藤満世子さんは憤る。

農家民宿を営むのは、他人を家に泊めるのに抵抗感がなく「おカネもうけより人もうけ」と人の交流を大切にする年金世代の高齢者が中心。若い夫婦世代が引き継げるのか。課題直面の中、正念場を迎えている。

(山形支局長 菊次正明)

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