可能なる革命 大澤真幸著
寓話から考える革命の可能性
理論社会学を牽引(けんいん)する大澤真幸氏の新著。テーマは革命だ。
映画「桐島、部活やめるってよ」やマンガ「テルマエ・ロマエ」、TVドラマ「半沢直樹」「あまちゃん」を素材に著者はグローバル資本主義の閉塞を描き出す。そのカギは「寓話(ぐうわ)」である。
補助線を引くと、幾何の証明問題はうまく解けた。寓話は、この世界の謎を解く補助線だ。だから大澤氏は、映画やTVドラマに注目する。
たとえば連続ドラマ「あまちゃん」。夏(宮本信子)/春子(小泉今日子)/アキ(能年玲奈)の、三代の海女の物語だ。この三代は戦後の、理想の時代/虚構の時代/不可能性の時代に対応するという。都会の閉塞にやる気のなかったアキは、北三陸で目覚める。「地元以上の地元」に根ざすことで、やすやすと境界を超えていく。不可能なはずの革命がどう起こりうるかの寓話になっている。
「テルマエ・ロマエ」は、過去が未来を模倣すること。「半沢直樹」は、不可能性の時代に理想の時代の人物を接ぎ木すること。「桐島、部活やめるってよ」は、スクールカースト底辺のオタクに解放の可能性があること。すなわち、革命がどのように(不)可能なのか、その条件を考察する寓話である。
そうした寓話は、恣意的に選ばれていないか。バイヤール、宇野常寛、バディウ、アガンベンらの先行業績を参照するが、彼らも恣意的に選ばれていないか。そんな疑問を著者は百も承知だ。世界も人間もしょせん偶有性(たまたまそうだが、そうでなくてもよかった)の産物である。偶有性を必然性につなげる寓話は、この世界のあり方そのものなのだ。
「外」がみえない資本主義の檻(おり)のなかで、誰もがあがいている。出口は逆説としてある。たとえば、オタク。あえて特殊な関心に偏執し、かえって普遍に至ろうとする。世の中で普遍とされているものは、実は普遍でないからだ。投票率は低いのに社会参加の意欲が高い、若者の逆説にも通じる。
著者は最後にメルヴィルの小説「バートルビー」を取り上げる。ウォール街の法律事務所で働く若者バートルビーはある日を境に、上司がどう指図しようと一切仕事をしなくなる。周囲は不安に陥る。不安こそ、革命的な行動の最初の一歩なのだ。この物語を、資本主義の閉塞を突き抜ける寓話として読むことはできないか。(不)可能な革命の予兆をつかむ預言の書が、大澤氏のこの書なのである。
(社会学者 橋爪 大三郎)
[日本経済新聞朝刊2016年11月20日付]
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