ジンギスカン、鍋も味わい 北の大地に博物館
北星学園大学短期大学部教授、溝口雅明
羊肉を焼いて食べるジンギスカン。真ん中が盛り上がった特徴的な形の専用鍋をご存じの方も多いだろう。北海道ではなじみ深い料理で、鍋を持っている家庭は多い。私は古い鍋に興味を持ち、およそ10年で約150枚が集まった。収集を通じて食文化や道具の移り変わりが見えてきた。
私は夕張の北にある万字炭鉱の商店街で育った。肉といえばジンギスカン。羊肉は割安でもあり、長年日常的に親しんできた。50歳の頃、この料理のルーツを研究している旧来の知人に協力しようと、実家で古い鍋を探したのが始まりだ。4枚が見つかり、2枚は古新聞に包まれていた。
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精肉店にレンタル鍋
1枚のさびを落として油を塗ると「ベル食品」の文字が浮き出てきた。ジンギスカンのタレの有力メーカーだ。調べると同社は約60年前にレンタル鍋を作って精肉店に置き、羊肉を買ったお客さんに貸し出していた。
当時は家庭でしょうゆや薬味を混ぜてタレを作っていた。鍋はベル食品が発売したタレを普及させる宣伝の役目があったのだ。そして食料品店だった私の実家に、鍋が捨てられずに残っていた。
ベル食品によると1956年にタレを発売。当時は経営難で、社運をかけた新商品だった。レンタル鍋を作ったが、製造枚数など詳細を記録する余裕はなかったという。56年は私の生まれ年でもあり因縁を感じ、収集熱に火が付いた。
ジンギスカンは中国東北部から大正~昭和初期に伝わったとされる。当初は鉄製の大きな格子状の道具(ロストル)を使っていたが、日本に伝わると七輪用に直径30センチ前後に小型化したようだ。
戦前は軍隊の羊毛用に北海道で飼育頭数が増え、毛を取り終えた羊の活用策が探られたが、食文化としてはなかなか広がらなかった。
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切れ目なし型が普及
戦後の1950年代からが普及期。道内では農家の庭先での飼育を含め40万頭前後がいたと推測され、近所に分けることも多かった。老いた羊は独特の臭みや歯応えがあるため、タレに漬け込んで下味を付けた肉を焼くジンギスカンが広がったようだ。旭川、滝川など内陸部は今も味付き肉文化だ。
鍋も変わる。昔は下処理がいい加減だった。焼くと脂がたくさん出て、鍋の周縁に流すために中央が盛り上がっていったようだ。今では高さ3~5センチが主流だ。
小樽や札幌、釧路など海沿いでは、肉を焼いてからタレに付けて食べる文化が広がり、59年に羊肉の輸入が自由化されると、全道で消費が増えた。
前後してプロパンの小型ボンベにつなぐ家庭用ガスコンロが普及。七輪用であればスリット(切れ目)がたくさん入れられたが、ガスコンロでは脂がたれるので使えない。スリットなしの鍋が広まった。また、味付き肉用に溝がなく、周縁部の脂だまりが深い鍋も考案された。
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アルミや真ちゅう製も
鍋の形状によって焼く野菜も変わる。私が子供の頃は筒状に切った長ネギぐらいだった。次第に鍋の周縁部にたまった脂でモヤシやタマネギを焼くようになった。安くてボリュームが出るので、観光客に提供したのが始まりと推測している。
今はカセットコンロが主流になり、手軽な使い捨てアルミ鍋なども出ている。鍋の素材では鉄製のほか陶器製や真ちゅう製、あるいは表面に描かれた模様でも分類できて面白い。熱源や食べ方ときわめて密接な関係を持ちながら変わってきたことがわかる。
実際に使ってみると、味の違いは歴然とする。今夏、農家の同窓生がドラム缶を半分に割ったコンロでバーベキューをした。網焼きでは火力が強すぎて羊肉の脂に引火したが、蓄熱性のある鋳物のジンギスカン鍋ではうまかった。スリット入りだと、煙でいぶされたような香りも付き、素晴らしい味わいだ。
近年では気密性が高まった道内の住宅でジンギスカンをすると、独特の臭いが1~2週間も残るなど主婦層に嫌がられるようにもなってきた。今月中旬に収集した鍋を展示する「ジン鍋博物館」を正式オープン(冬季休業)するが、「家ではもう使わないから」と鍋が集まるのは、さびしいことでもある。うまいジンギスカンをみんなでわいわい食べて、食文化を盛り上げていければいい。
(みぞぐち・まさあき=北星学園大学短期大学部教授)
[日本経済新聞朝刊2016年11月3日付]
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