画家・小川信治さん　リアルを揺さぶる企て

印刷物やネット画面に無数の図像があふれる現代。我々はそれらのイメージを、実物を知らないまま脳裏に焼き付け、象徴性や意味まで持たせている。だが、そのイメージは果たして正しいのか。

現代美術家の小川信治は、人々が疑問なしに抱くこうしたイメージに巧妙に改変を加え、見る者の固定観念にくさびを打ち込む。首都圏の美術館では初となる個展「あなた以外の世界のすべて/小川信治」（千葉市美術館で30日まで）の会場に作家を訪ねた。

「パロディー作家ではないことをまずは訴えたかった」。出世作「Without You」はフェルメールやベラスケスの名画から主要な人物を消した油彩作品のシリーズ。ゆえに、ともするとパロディーや模倣の油絵の画家と目されてきた。その見方を払拭するため、ここ数年来取り組む最新の「対称性/非対称性」シリーズを個展会場の最初に展示した。

尖塔（せんとう）のある壮麗な建築が立ち並ぶアントワープやプラハ、ウプサラといった風光明媚（めいび）な町並みの大型モノクロ画像。一見、観光名所の写真を引き伸ばした古いポスターのようにも見えるが、実はすべて鉛筆による手描き。まるで精密なカメラで写し撮ったような超絶リアリズムは、圧倒的な技巧をうかがわせる。

だが、作家の真意は精密な描写にはない。よく見ると、建築物は縦に置いた鏡面が映し出す実像と虚像のように左右「対称」だ。それが極めてリアルな自然や人物の間に配置されることで、奇妙な感覚を与え、視覚を揺さぶる。

アイデア帳では、最初にこの建築部分の「対称性」が頭に浮かび、そこに非対称の風景を上部に加える形になったようだ。「互いに矛盾する2つの考えを1つの画面に表現できないかというところから始まったコンセプト」と解説する。

同じ部屋には、実在の修道院の代わりに欧州の様々な建築イメージを組み合わせてフランスのモン・サン=ミシェルに見せかけた9枚の「モアレの風景」シリーズも展示されている。

「画面の中のいろんなものを動かしたりなくしたり、頭の中でゲームをすることで、今見ているものが現実なのか、これですべてなのかを考えるのが好き」と言う。「時間と空間があり、そこに我々が存在する。そうした世界がどういうものか、その構造が知りたいと思う」

「Without You」シリーズ、消失した人物を別の画面にした「連続体」、あるいは画面の中の人や物をそっくりコピーして同じ画面に並べた「Perfect World」、絵の右と左をつないで真ん中で切断した「Behind You」――。不在や反転、反復によって時間と空間の重層性を意識させる実験的な作品は、そのアイデアの源泉にすべからく世界のありようへの純粋な探求がある。

既存のイメージを作品に利用するのも同じ理由からだ。「自分で考えたイメージではただの自己表現になってしまう」。そうならないよう、着想を生かすには「名画や風景などキャラクターやイメージがはっきりしている表象を使い、そこに別の意味、ノイズが入り込まないようにするしかない」。

見た目の明解さや巧みさの裏に「世界」の構造をとらえようというアイデアが隠れている。そう考えると、作品はにわかに深遠さを増してくる。

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周囲の風景が円環状になって回り始め、それを縦に起こして巨大な車輪にし、その中をリスのように駆ける――。「自分はこんな感じの人間。日々、妄想と現実の中で生きています」と自己紹介する。

「日ごろはアートのことなんて考えていない」という通り、本人にアイデアを形にする以外の野心は感じられない。穏やかに作品を語る口ぶりは、純粋哲学を追究する孤高の哲学者のようだ。

ただ、世界を知ろうとする裏には、自分と他者との「つながり」を求める意志があるようだ。その発想が思わぬ方向に発揮されて人気なのが小川の美術ワークショップだ。子供たちが描いた絵を、左右同じタッチの絵を作ってつないで円環にする。そうすると、子供は自分の作品だけでなく、別の子の両どなりの作品、いわば他者の存在に意識を向けるのだという。アートの可能性を信じよう。そんなふうに思わせてくれる作家でもある。

（文化部　富田律之）

［日本経済新聞夕刊2016年10月12日付］