無人のJR小浜線加斗駅 夫婦で営む切符もきる理髪店
理容師、塚本久夫
JR敦賀駅を出て16駅目に当たる福井県の小浜線・加斗駅は、1973年以来の無人駅だ。この季節、小浜湾を望むホームに降り立つと、目の前にはコスモスやたくさんの白いタオルが秋風にそよいでいるだろう。駅舎の切符売り場の向こうからは、シャキシャキと鳴るハサミの音。外にはサインポールが立っている。ん?
というのも、加斗駅の駅舎内で私たち夫婦が理髪店を営んでいるから。加斗駅は分類上は駅員のいない無人駅だが、切符の販売業務を委託する「簡易委託駅」に当たる。駅前にあった理髪店を駅舎内に移して21年目。妻の朝子とともに年中無休で駅を見守ってきた。
中高生ら70人見送る
7時に自宅を車で出て約15分で駅に到着。まずは駅舎隣のトイレの掃除から。どちらを向いて用を足しているのか分からない。そんなこともあるが、幼い頃から母親について集会所などの掃除を手伝っていたためだろうか。苦とは思わない。
季節の花を洗面台に添えてタオルを替えたら、次は駅のゴミ箱の始末。夜中のうちに、家庭ゴミが放られることもあり、ペットボトルや空き缶は毎日数十本に上る。一つ一つ洗って乾かし、次はホームに異常がないか見回り。ここまでで約30分。その後、理髪店の開店準備に取りかかる。
「おはようございます」「乗り遅れるよー」。妻は7時24分発の電車に乗り込む通学の中高生ら約70人を見送る。出発ぎりぎりに駅に駆け込む子も多く、運転手さんに「もう一人来ますからちょっと待って下さい」と声をかけていることも。みんなが乗り込み、これでOKと手を振ってワンマン電車の扉は閉まる。
コスモスなど季節の花
同じく理容師である妻の実家の理髪店を継ぐため、加斗駅前に構えていた店に勤め始めたのは73年。乗客の減少などで無人になった駅は、ほどなく荒れ始めた。駅舎内に散らばるゴミ、落書き、ツバ。トイレも臭い、いやが応でも気になる。一方の妻にしても、この駅を通学に使ったため思い入れが強かった。
「朝目が覚めると、まっ先にお母さんは駅まで花を見に行きます」。これは、長女が小学5年生の時に書いた作文の一節。2人で掃除し、草刈りをし、季節の花を植えるようになった。頂いたコスモスの種を植えたのもその頃。使わなくなったホーム片側の線路の砂利を上げて、土を入れた。
それから約20年。借地の関係で店を立ち退くこととなり、廃業するかどこかに勤めに出るか。そう考えていたところ、JR西日本の方や地域住民から残ってほしいという要望が出た。駅業務の合理化が進んでいた時期。それでも「駅に誰かがおってくれるだけでも安心する」という声が大きくなり、JRから一部の業務を受託。95年、駅舎内への移転がかなった。
数え切れない人を迎え、見送ってきた。「仕事がんばってや」とのメッセージを添え、海で拾った貝殻を手渡してくれた若いカップル。日本一周の旅の途中という中国人の若者。「以前はお世話になりました」と頭を下げる夫婦。はて? 特別なことはしていないはずだが、相手は私たちのことを覚えていてくれる。
加斗駅は「花の駅」でもある。駅前には元からあるツツジのほか、10年前には桜の木を植えた。春には7本が満開に。切符の販売以外は、誰に頼まれたわけでもない。ただ好きなこと、できることを2人で続けてきた。脚の悪いお年寄りがいたらホームまで寄り添い、ケガをした子がいたらばんそうこうを貼る。「舞鶴まで大人2人」と声がして、切符売り場の窓口に妻が駆けてゆく。
20年遠出せず手入れ
この20年、一度も夫婦で遠方に出かけたことがない。冠婚葬祭に際しても、夫婦どちらかが駅の様子を見回る。トイレの清掃は駅の業務とはかかわらないが、汚れやすくどうしても放っておけない。思いがけず、昨年10月に初期の肺がんが見つかり、その時は2人で京都の病院に行った。
手術、入院を経て仕事に復帰したのはその翌月。草刈りや駅前の除雪は40年以上欠かさなかったが、今は体と相談。理髪店も予約制にさせてもらった。うっかり草を引いているとお客さんに「何しよんや」と怒られる。
思い入れのある加斗駅で商売を続けてこられたのも、理髪店と駅のお客さんのおかげだ。経費を考えるともう割に合わないが、喜んでくれる人がいれば何より。人の手助けができるのはとても有り難いこと。そうつくづく感じている。
(つかもと・ひさお=理容師)
[日本経済新聞朝刊2016年10月3日付]
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