鬼才 五社英雄の生涯 春日太一著
無法者の人生 心意気を吐露
時代劇映画と、やくざがらみの女性映画で活躍した五社英雄監督の評伝である。代表作は「人斬り」「鬼龍院花子の生涯」「極道の妻たち」というところだろうか。映画はエンタテインメントであると信じ、立廻(たちまわ)りや濡(ぬ)れ場の派手な演出に特色があった。映画が産業的に急激に落ち込んだ時代に、まずテレビ局の社員ディレクターとして現れ、お茶の間向きの良識が求められるテレビの枠には収まらない反逆性や野人的なところが珍重されて映画界に救世主のように迎えられて大作をまかされることが多かった。
ただエンタテインメント性を重んじたといっても面白ければなんでもいいというのではない。この本の著者が強調するように、「五社作品の主人公たちは誰もが皆、体制につま弾(はじ)きにされているか、自ら背を向けているか。平穏な日常生活を送れている者は一人としていない」のだった。そして「主人公のアウトローたちの闘争の果てに訪れる結末は爽快感・達成感とは程遠いもので、観(み)終えるといつもどこか寂寥(せきりょう)感が漂うということだ」。このカッコ内は本の第一章の引用だが、同感である。五社作品は必ずしも楽しくはなかった。
この本で知ったことだが、五社英雄の父親は用心棒稼業で喧嘩(けんか)早く、「そんな父親のせいで、五社少年は学校で理不尽な目に遭い続けることになる」という。そういう経験がそのまま五社英雄の作風につながるとは言えないだろうが、なるほど、と思える。彼は一生かけて、父親のような人間を理解しようとつとめ、また弁明しようと試みたのかもしれない。五社英雄はその主人公たちを必ずしも否定しなかったが肯定もしなかった。なんてひどい人生だ、しかしこういう人生はあるし、こうとしか生きられない人間は確かにいる。そんな確かな手応えが彼の作品にはあって、そこがいちばんの見どころだった。
映画をエンタテインメントと信じて派手な演出で観客サービスにつとめたというより、むしろそんな無法者の生き方についての弁明など、本当は分かってもらえることが無理だから、せめてアクションや濡れ場の派手さの中で思いっきり無法者の心意気を吐露してみたかった、ということなのかもしれない。それが自(おの)ずからエンタテインメントになっていったということなのであろう。
この本のおかげで、ひとりの映画作家の真情を理解する手がかりが得られた、と私は思う。そういう本はなかなかない。
(映画評論家 佐藤 忠男)
[日本経済新聞朝刊2016年10月2日付]
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