光炎の人(上・下) 木内昇著
技術者が流転し暴走するまで
明治に生まれた徳島の農家の三男坊が、想像もつかないほど遠くまで行く。本書は、ある技術者の流転の物語である。読了した後に、主人公である音三郎の出発点を思い出し、上巻に立ち戻って愕然(がくぜん)とする。煙草(たばこ)を刻む機械に魅せられていた真っ白な少年は、いかにして満州まで辿(たど)り着くのか。
東日本大震災が引き起こした、福島第一原発の事故をきっかけに、木内さんはこの小説に着手したのだという。電力というものの、それがなければ普通の暮らしもままならないものでありながら、人々の当たり前の暮らしをおびやかすものでもあるという両面に接し、「けれど、いかなる技術もスタート地点では、多くの人を豊かに幸せにするという希望があったのではないか」という考えを持たれたのだそうだ。技術の誕生から、それが暴走し、思わぬ方向に拡散してゆく、という流れそのものを体現するように、音三郎の人生は変節してゆく。本書ではまた、音三郎の仕事と人生を出入りする人々の変転も丁寧に描かれる。いい人も悪いやつも怖い人間も、どの人物も印象深い。
始まりの周辺には、真っ当(まっとう)な矜持(きょうじ)があった。音三郎が世話になった職工の先輩が、大逆の疑いをかけられて逮捕され、釈放された帰り道で、地位の低い職工のすることや考えや主張などは世の中にとっては木っ端みたいなものだ、と吐き捨てる。その彼に音三郎が「職工は、ええものを造るより道がないように思いますんじゃ」と語る場面は、個人的には小説全体を通してのハイライトだと思う。この誇りを、音三郎がおそらく最後まで持ち続けていたことは何より痛切である。
技術を追求してゆくにつれ、音三郎は壁にぶつかる。開発していた物が大企業に先を越され、ライバルに負けもする。そんな逆境にあっても、ある程度順当にキャリアを積んでいったと言える音三郎を歪(ゆが)めていくものは、周囲の人々であり、時代の趨勢であり、本人の中に潜んでいた非人間性である。さまざまな要素が複雑に絡み合って、音三郎はある歴史的な地点へと突き進んでゆく。
音三郎はどこで引き返せたのか。いくつかの分岐点はあったように思う。純粋な技術への憧れを出発点としながら、その思いは本質を保ったまま姿を変え、希望を野心で塗りこめてゆく。読み終わって改めて、その興味深くも辛く長い過程は、だからこそ書かれる意味があるのだという強い気迫と責任感を感じる。この物語を引き受けた木内さんの誠実さに、強い敬意を捧(ささ)げる。
(作家 津村 記久子)
[日本経済新聞朝刊2016年9月18日付]
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