湯船・番台・外観… 銭湯、関東と関西こう違う
まだまだ暑く汗ばむこの季節。自宅よりも広い風呂に手足を伸ばして入浴すれば気分も爽快だ。そう思ってやって来た東京都内の銭湯。関西出身の記者が入るのは初めてだが「あれ?何か違う」。子どもの頃に入った銭湯は湯船がもっと真ん中にあったような……。
関東と関西で銭湯はどこが違うのか。著書『くらべる東西』(文・おかべたかし、写真・山出高士)で食べ物や工芸品などを東西で比較した作家のおかべさん(44)に聞いてみた。
まずは湯船の位置だ。東京の銭湯は湯船が浴場の奥の壁にくっついているのが特徴だ。関西では浴場の中央にある所が多い。おかべさんは「肉体労働者が多かった関東ではまず体を洗ってから湯船に入るため、湯船は奥になったという説が有力です」と話す。一方で「関西はまずかけ湯をして湯船に入り、暖まってから体を洗うので、湯船は中央に置くようになったのでは」と推測する。
他にも違いはありそうだ。全国3千軒以上の銭湯を巡った日本銭湯文化協会の町田忍理事(66)にさらに詳しく教えてもらった。
例えば外観。銭湯といえば唐破風(からはふ)を備えた宮造りが定番だが、実は関東が中心だ。町田さんは「関東大震災の復興で元気を出してもらおうと、大工さんが唐破風を備えた派手な建物を作ったら評判が良かったから広まった」と話す。それ以前はもっと地味な作りだったそうだ。
銭湯といえばペンキ絵の富士山が代名詞だが、これも関東ならではだ。東京都千代田区猿楽町にあった銭湯「キカイ湯」が1912年に始めたのが発祥とされる。その後は銭湯専門の広告代理店が近所の商店の広告看板を浴場の壁に張り、広告料を使って専属の職人がペンキ絵を描く習慣が広まった。関東以外の浴場の壁はタイルが多いようだ。
細かい所に目を凝らすと、番台の高さも違う。東京周辺の銭湯は床からカウンターまでが130センチメートル前後とやや高いそうだ。町田さんは「繁盛した東京周辺の銭湯は建物が広く、脱衣所を隅々まで見渡せるよう番台も高く作られた」と解説する。
最盛期の1968年には約2600軒あった都内の銭湯。家風呂が普及した現在では約600軒まで減った。銭湯は東西の地域性が色濃く出る庶民文化の一つ。いつまでも身近に楽しみたいものだ。
風呂の湯が熱い関東 42℃前後
関東と関西は風呂の温度も違うとされる。関東は42℃前後と熱いという。町田さんは「肉体労働者が多かった江戸では、高温の風呂にサッと入って疲れを取った」と話す。一方、関西は40℃前後とぬるめが多いそうだ。
関西版の「ケロリンおけ」(直径21センチ)は関東版(直径22.5センチ)より一回り小さい。販売元である内外薬品の笹山敬輔社長は「かけ湯の文化がある関西では、重くて片手で持てないのでサイズを小さくした」と話す。
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