ベネチア映画祭で比作品に栄冠 人間凝視の時間、圧巻
古賀太・日本大学芸術学部教授が報告
フィリピンのラヴ・ディアス監督「去った女」が最高賞の金獅子賞を獲得し、10日閉幕した第73回ベネチア国際映画祭。海外の映画祭に詳しい日本大学芸術学部の古賀太教授が報告する。
今年の一番の話題はメーン会場近くの「公園館」だった。10年前の新映画宮殿構想が頓挫してビニール敷きの場所に、プレハブの赤い劇場が登場。500席弱で主に一般客向けに上映。古典部門の黒澤明「七人の侍」や加藤泰「ざ・鬼太鼓座」の復元版も上映された。
一般客を意識した姿勢はコンペにも見える。数年前から「ゼロ・グラビティ」などが出品され、米アカデミー賞の前哨戦と言われてきたが、今年もエマ・ストーンが女優賞に輝いた軽快なミュージカル「ラ・ラ・ランド」を開幕に置いた。
一方でヴェンダースやクリトリッツァなどアート系の監督にも目配りを忘れない。ディレクターのアルベルト・バルベラが「様々なテイストを満足させる」と述べた通り。全体としては、人類の過去や未来について考察する根源的な問いかけの作品が目立った。
白黒で過去を再現
サム・メンデス率いる審査員は、前衛的な作品を重視した。金獅子賞はフィリピンのラヴ・ディアス監督「去った女」。無実の罪で30年投獄された女の復讐(ふくしゅう)と赦(ゆる)しを描く白黒の作品だ。
舞台は子供の誘拐が多発した1997年だが、これが物語にも絡む。真犯人を探す主人公とゲイや物乞いや鉄くず拾いたちとの交流が描かれるが、4時間近い長さでこそ表現できた人間凝視の時間が圧巻だった。
銀獅子賞(監督賞)のロシアの巨匠、アンドレイ・コンチャロフスキー監督の「パラダイス」も白黒で、ナチスの収容所時代を新しい手法で描く。ドイツ人に協力するフランス人、ロシア貴族で収容所に入る女性、彼女を愛して救おうとするナチス党員の3人が同じ服を着て、正面を向いて話し、それぞれの回想が始まる。
実は死んだ人々の話であることがわかっていくが、普通の人々にとってのナチスという現象をクールに表現した。パウラ・ベアが新人俳優賞を得たフランスのフランソワ・オゾン監督の「フランツ」も半分は白黒で、第1次大戦後の独仏を舞台にした恋愛劇。白黒による過去の再現は今年のテーマの一つだった。
監督賞を分けたメキシコのアマト・エスカランテ監督の「未開の地」は不思議な男女関係をマジック・リアリズムで描く。銀獅子賞(審査員大賞)のアメリカのトム・フォード監督「夜の動物たち」は、元夫から送られた小説の世界と現実を敢(あ)えて混在させて見せた。どちらもSFに近い。
「愚行録」に歓声
アルゼンチンのオスカル・マルチネスが男優賞を得たコーン&デュプラ監督「名誉市民」は古典的な演出ながら前評判が高かった。ノーベル賞作家の故郷への帰還を描いた悲喜劇で、人生の機微を正面から描く。
コンペに邦画は不在だったが、若手中心のオリゾンティ部門では、石川慶監督の初長編「愚行録」が出品された。妻夫木聡演じる雑誌記者が1年前の事件を追いかける過程で入獄中の妹(満島ひかり)の姿が浮かびあがる。巧みなサスペンスに会場は盛り上がった。
カンヌの作家主義とは違い、大衆とアートの2方向の結合を目指すベネチアは新しい国際映画祭の形を示しているかもしれない。
[日本経済新聞夕刊2016年9月13日付]
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