小林武史さん 被災地、石巻を新たな地域創造の基地に
8月中旬、音楽プロデューサーの小林武史さん(57)は都内のオフィスに日焼けした顔で現れた。7月末の3日間、東日本大震災の大被災地となった宮城県石巻市の石巻港雲雀野(ひばりの)埠頭の広場で、小林さんはミュージシャンらと共に、全国のファン・地元住民の歓声の渦中にいた。炎天下、砂埃(すなぼこり)の立つ工業用地でのフェスティバルながら、入場者は約3万9千人と大盛況だった。
ただ、今回は「序章」。来年7月末~9月半ばの51日間、石巻・牡鹿半島を中心に開く音楽とアートの祭典「リボーンアート・フェスティバル」のプレイベントの位置づけだ。どんな復興の祭典を思い描くのか。
「3.11が最大の動機ですが、発端は新潟県中越沖地震(2007年7月16日)。つま恋(静岡県掛川市)でやった僕らのapバンクフェスはこの年、台風で3日のうち最終日しか開催できなかった。経営的には打撃です。同じ日に地震が起きた。僕らにとって幸運な日が新潟では不幸な日。悩む中で大量のカレーが余ったことに気づきます。僕らのフェスは外食が売り物で、カレーの炊き出しに行ったのが最初のボランティア体験です」
「3.11のあの瞬間、僕は大阪のラジオ局にいました。控室でテレビから続々と入る情報に驚くばかり。直後のミスター・チルドレンの大阪コンサートはじめイベント中止・自粛をバタバタ決める一方で、東電福島第1原発の事故が起きた」
「ここでボランティア経験が生きます。飲食ノウハウを持つ人々と連携し、設備を整えれば炊き出しができる。山形県庄内町でレストランを運営する懇意のシェフに連絡し、ボランティアに動き出します。庄内町と宮城県南三陸町は姉妹町で最初は南三陸でカレーの炊き出し。1日で気仙沼、石巻などを回り、直後から被災支援団体ピースボートと組んで毎週末、東京からボランティアを送り出します」
フェスの収益を環境プロジェクトなどに融資するapバンクが発足したのは、米ニューヨークにスタジオを構え、9.11テロが起きた2年後。災害、テロと時間軸も場所も違うが、「神の啓示のように、どこかでつながっている」と感じたという。
「日本も米国中心の経済に牽引されたが、安全とされた社会に災害やそれを上回る事故が襲う。僕らは『しらけ世代』の始まりです。学生運動をやった団塊世代はやがて侃々諤々(かんかんがくがく)の議論の行き場を失い、経済第一の社会に組み込まれた。でも、お金に立脚する社会とはいえ、知恵と工夫を凝らしていけば環境にやさしいサステナブル(持続可能)な社会に変えられる。ぬか床でおいしい漬け物ができるんだという発見のある楽しい消費社会へシフトできるのでは、と農業法人『耕す』や『クルック』を作りました」
音楽とアートの祭典の開催地を石巻に決めた理由がある。
「各地の被災状況を見ましたが、平野が広い石巻は被災地も広範で最大の被災地です。石巻専修大学の厚意でボランティア拠点ができ、我々が役立てる機会も持ちやすかった。東京・丸の内みたいに大勢の人が集まる数の論理でなく、よそ者と住民が交流する本質的な出会いの場ができました」
「アートディレクターの北川フラムさんが越後妻有(つまり)や瀬戸内でやった芸術祭に感動しました。過疎地だって新たな地域作りはできる。北川さんのプロデュースを仰ぎ、最大の被災地を新たな地域を創造する基地にしたい」
音楽とアートの融合に、どんな思いを込めるのか。
「高校まで過ごした新庄市は、映画館もレコード店も3つありました。ピアノを習い、ステレオやアナログレコードが登場し、歌謡曲、ロック、ジャズ、クラシックなど多様な音楽の坩堝(るつぼ)にいた。それでロック、ジャズ一筋でない音楽プロデューサーの道をたどってきたんだと思います。日本の中で音楽が膨らんでいく時期に自分も波長を合わせられた」
「ただ、直後にデジタルが入ってきて音楽が『情報』に席巻されてしまいます。音楽が刺激や視覚などの付属物になっていく。東京ドームでコンサートをやって、刺激ある音楽に大勢が盛り上がることは否定しません。でも、ドームではチェロやドラムの本当にいい音はわからないですよ」
「アナログのテープレコーダーやレコードへ回帰する流れもあります。業界の主流から外れたところで、まだ生音楽が息遣いを宿している。合理性を超越したアナログ音楽にいとおしさを感じます」
「実はリボーンアート・フェスも、僕らが『耕す』でやっている大地に根付いた農業も、アナログのよさと同じです。フェスは地域の人々と一緒につくり、生演奏や本物のアートに触れる趣旨です。北川さんらの芸術祭は世界のアーティストと住民、ボランティアが参加し、地域を変えました。僕らは音楽の力も加えた総合的な祭典をめざしますが、会場設定も含めゼロから始める手作り感覚と共同作業は、楽しくて気持ちがいいですよ。僕にもまだ役割はあるな、と思いますね」
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農業生産法人を設立 木更津で地域に溶け込む
「一度、木更津農場へ来ませんか?」。音楽の世界は全く素人の記者。小林武史さんがビッグネームな存在とは知らぬまま、昨年、都内のレストランであった農業・環境問題関係者の会食の席でお誘いいただいた。「有機野菜もですが、卵なんてすごくうまいですよ」。気さくな笑顔がよかった。
小林さんを中心に立ち上げた農業生産法人が「耕す」。千葉県木更津市と兵庫県丹波市で開墾をスタートし、有機農産物・鶏卵などの販売を始めた。6月下旬、現地へ赴くと、のどかな30ヘクタールの敷地に新緑の農地とソーラーパネル。この日は外食などを手掛ける「クルック」との共同イベントも実施。小林さんは「この日のために何日も練習した」鶏卵とそぼろの2色丼などを、厨房で作り続けた。
空き地では、地元の親子連れも参加して、竹を使ったジャングルジム作り。記者も加わったが、そんな共同作業を小林さんは楽しそうに見守る。地元の自治体職員が「地域との真の融和が生まれた」と喜ぶ姿が印象的だ。
(編集委員 嶋沢裕志)
[日本経済新聞夕刊2016年9月10日付]
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