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右か左か エスカレーター片側空け、どうして? 「追い越し」感覚、自然に定着

2016/9/10付 日本経済新聞 プラスワン

PIXTA
 「エスカレーターでは歩かないでください」。電車や駅でこんな放送をよく耳にする。実際には左右どちらかに人が立ち、反対側を人が追い越していく光景をよく見る。この片側空けのルール、どのように定着したのだろう。

 大正3年(1914年)に東京の三越呉服店(当時)と、上野で開いた東京大正博覧会にできたのが日本最初のエスカレーター。当時の写真に着物姿で1人ずつ1列で手すりにつかまる姿が写っている。それでは片側空けが登場するのはいつか。エスカレーターに詳しい斗鬼(とき)正一・江戸川大学教授を訪ねた。

 「1967年の大阪が最初ですね」。阪急梅田駅(大阪市)の1階と3階を結ぶエスカレーターができ、阪急電鉄が「左側をお空けください」と放送を始めた。70年の大阪万博でもエスカレーターの左側空けを来場客に呼びかけ、定着した。そう呼びかけた理由には「ロンドンの地下鉄にならった」との説があるが、真相は確認できない。

 阪急梅田駅の放送は98年に打ち切ったが、長年続いた利用客の習慣は簡単には変わらない。今でも大阪と通勤圏の奈良、和歌山、兵庫県は全国でも珍しい左空けが原則だ。

■新幹線網の拡大 地方は東京方式に

 一方、東京では地下駅が増え、改札に向かう長いエスカレーターが目立つようになった80年代末から、片側空けが始まったらしい。東京では鉄道会社の呼びかけでなく、自然発生的に始まったという。

 これが普及したきっかけは2000年の交通バリアフリー法にある。階段を高齢者らが歩いて利用するのは大変。エスカレーター設置駅が増えた。斗鬼教授は「東京と地方を結ぶ新幹線網の拡大もあり、地方都市に右空けの東京方式が広がった」と説明する。

 どうして自然発生の東京方式は右空けだったのだろう。疑問に思いながら東京の地下駅構内を歩くと「ここでは左側通行です」というステッカーに気がついた。日本では人は右側通行のはずなのに。

 調べてみると「人は右、車は左」はそう古い通行ルールではなかった。昭和24年(1949年)に道路交通取締法を一部改正するまで、「人も車も左」が原則だった。「人は右」に変わっても、駅では通路や改札などの構造をそう簡単には変えられない。例外として左側通行が残ったという。そういえば今でも左側通行で、通路に続くエスカレーターが左側にある駅が多い。

 左側を歩いたままエスカレーターに乗ると、左側に立つのが自然な流れになる。そこで生まれるのは自動車道と同じ感覚で、左が走行車線、右が追い越し車線だ。

■歩くこと想定せず 安全面では問題も

 ただ、片側空けは安全面では問題が多い。日本エレベーター協会(東京・港)に聞くとエスカレーターの設計は「歩くことを想定していない」。片側を歩くと、つまずいたり荷物が触れたり事故が起きやすい。同協会やJR各社、主要私鉄などは09年から「手すりにつかまろう」キャンペーンを共同で続ける。

 人や車の流れに詳しい西成活裕・東京大学教授を訪ねると面白い証言が返ってきた。「片側空けは人間にとって気持ちのいい乗り方なんです」。歩く人は先を急げる。立っている人は通路を譲って思いやりを示せる。双方に利点があるから定着したという。

 最初はマナーだったが、「トラブルや事故を避けるため、利用者がより厳格に片側空けを守るようになった」。他人に同調しやすい日本人の性格もあり、守るべきルールとして定着した。生物学や物理学ではバラバラに見える個の行動が、命令していないのに全体で秩序を生むことを「創発」と呼ぶ。これと似た現象が起きたのだそうだ。

 特にルール定着後に育った若い世代は「片側空けは常識」という意識が強い。

 エスカレーターの乗り方は国によって異なる。外国人旅行者が急増している影響はないのか。代表的な観光地、京都市のJR京都駅で確かめてみた。観察すると、右に立ったり、左に立ったり、2人並んだりバラバラだ。

 根付いた片側空けは今後どうなるのだろう。「一度定着したルールはそう簡単には変わらない。訪日客が日本のルールに合わせるようになる」と西成教授は見る。一方で斗鬼教授は「今のルールは厳格すぎ。4年後の東京五輪を機に、もっと多様な利用法を認めるべきだ」と指摘する。

 手すりをつかみ、歩かないのが安全な乗り方だが、業界が呼びかけるルールに従わない人が多いのは事実だ。歩行不可、右空け、左空け。国際化の中、どんな秩序へとたどり着くのだろうか。

記者のつぶやき

■右か左、柔軟に対応 日本人の性格か
 右か左かと考えながら、駅の中を歩き続けた。左側通行のエスカレーターを昇ったその先が右側通行だったり、一駅乗ると右から左に変わったり。その無秩序さもさることながら、歩く人が疑問を感じていないのに驚いた。
 状況の変化に柔軟に対応する適応力と評価すればいいのか、それとも流れにのまれやすい日本人の性格の表れなのか。
(田辺省二)

[日経プラスワン2016年9月10日付]

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