「熱い抽象」日仏協奏 50~60年代の前衛美術再評価
日本の美術家が、世界の前衛美術の一翼を担った時代があった。1950~60年代の前衛絵画「アンフォルメル」。フランス発のこの芸術動向と日本との関わりが、改めて注目されている。
それは、戦後の日本美術界を大きく揺るがす現象だった。「アンフォルメル」とは、「非定形」「未定形」という意味のフランス語。奔放なタッチと厚塗りの絵の具、作家の内面の感覚を激しく表出するように描いた抽象絵画が、1940年代末から50年代にかけて欧米で次々と生まれていた。
「アンフォルメル」と命名したのはフランスの美術評論家ミシェル・タピエだ。時に激しい表現行為を伴うアンフォルメルは、それまでの幾何学的な抽象絵画の「冷たい抽象」に対し、「熱い抽象」とも呼ばれた。整序された形式を超えて混沌の中から流動的な表現を生み出す画面は、米国のジャクソン・ポロックにも通じる時代の表現だった。
京都市の京都国立近代美術館で11日まで開催中の「あの時みんな熱かった!アンフォルメルと日本の美術」展は、この前衛美術が、50~60年代の日本美術に及ぼした大きな影響を、多角的に検証した展覧会だ。
関西の「具体」紹介
初めのコーナーには、アンフォルメルの画家として活躍した欧米の作家の作品が並ぶ。タピエの盟友で、激しい身ぶりの公開制作を行ったフランスのジュルジュ・マチュー。色彩感豊かな叙情的抽象で知られる米国出身のサム・フランシス、物質感が強い厚塗りの表現でアンフォルメルの先駆者と目されたジャン・デュビュッフェやジャン・フォートリエなど12人だ。
アンフォルメルが、従来の美術現象と異なるのは、主導者であるタピエが、日本人芸術家を次々と世界に紹介していった点だ。フランス留学中の画家、今井俊満が、パリでタピエに会い、アンフォルメルの画家として認められたのをきっかけに、留学仲間の堂本尚郎もメンバーに加わる。
57年、今井の帰国後、タピエがマチューと相前後して来日、日本に「アンフォルメル旋風」を巻き起こした。吉原治良をリーダーとする関西の前衛美術グループ「具体」は、今や世界的な名声を獲得しているが、彼らを世界に初めて紹介したのも、堂本や今井を介して具体のメンバーを訪ねたタピエだった。
展覧会は、タピエが注目した今井や堂本、勅使河原蒼風、さらに吉原、白髪一雄、嶋本昭三、田中敦子、元永定正といった具体のメンバーの作品を取り上げるだけではない。
アンフォルメルの影響を、50~60年代の日本の前衛絵画、洋画、日本画、書、彫刻、陶芸などに見つめ、日本の多ジャンルの芸術に及ぼした「旋風」の行方を見つめ直している。流動的な線や形態が、文字の制約にとらわれない森田子龍、井上有一ら前衛書道の動向と響き合う様が浮かび上がり、日本画の大家、堂本印象のうねるような抽象表現にも、光を投げかけていることがわかる。
書や日本画に影響
京都国立近代美術館の平井章一主任研究員は「『具体』が世界的に注目される中で、彼らを世界に送り出したアンフォルメルについては、これまでまとめて取り上げる機会が余りに少なかった」と語る。「戦後日本の現代美術史では、日本固有のルーツを持たない外来のムーブメントだとして、否定的に見る傾向が強かった」と話すのは、アンフォルメルと書や日本画との関わりに注目してきた美術評論家の天野一夫氏だ。
今回の展示を見た日本画家で京都造形芸術大学教授の菅原健彦氏は「くくりがない芸術のあり方に、大いに刺激を受けた。『日本画だ』とわざわざ言わなくても通じる言葉が、ここからは見えてくる」と話す。
インスタレーション(仮設展示)全盛の後で、平面絵画の復権が叫ばれる今、半世紀余り前のアンフォルメルは、絵画表現の新たな可能性を探るヒントにもなっている。
(編集委員 宮川匡司)
[日本経済新聞夕刊2016年9月5日付]
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