河川トンネル、つなげ未来 「湊川隧道」保存に奔走
佐々木良作、湊川隧道保存友の会副会長
幅7.3メートル、高さ7.7メートルの卵形。延長600メートルに及ぶ神戸市兵庫区の「湊川隧道(すいどう)」は、近代技術による日本初の河川トンネルだ。1901年(明治34年)に完成し、当時は世界最大の規模を誇った。度々氾濫を起こした旧湊川の付け替え工事に伴うもので、南北朝時代、湊川の合戦で楠木正成が本陣を置いたと伝えられる標高85メートルの「会下山(えげやま)」の直下を貫いている。
8月のこの時期、レンガ造りの隧道内に入ればひんやりとした風を感じる。外気温より10度以上低く、湿度は70~80%程度。オレンジ色の照明がもやがかった構内を照らし、穏やかに反響するのはしたたる地下水。気持ちがしんとなる。
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阪神大震災後に再評価
この隧道を舞台に毎月、クラシックやジャズ、はたまた三味線や詩吟など、様々なイベントを開いているのが保存活動を行う「湊川隧道保存友の会」。私は会の副会長を務めている。今や土木学会の「選奨土木遺産」にも認定されるなど貴重な近代遺産に数えられるが、実は阪神大震災が起きるまで、ほとんど見向きもされない存在だった。
兵庫県の土木技術職員だった私は震災後、災害復旧室の室長として河川に関わる復興事業に携わった。護岸があちこちで崩れ無残な姿。その一つが湊川隧道だった。東西の出入り口が損傷し、隧道の北側を抜く新トンネルの工事が決定。2000年の完成後、隧道は治水上の役目を終えた。
神戸の復興が進むにつれ、古い建造物がどんどん取り壊されていった。一方で、残すべきものは残そうという機運も学識経験者の間で高まっていた。土木が専門の関西大の西田一彦先生や神戸大学の神吉和夫先生らが、湊川隧道を調査し、その歴史的価値を評価した。私は、保存の検討委員会の事務局を務め隧道に関わるようになったが、確かにその土木技術の水準は驚くべきものだった。
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レンガ400万個積み
ツルハシやノミで掘り進められた隧道内には、400万個を超えるレンガがアーチ状に積み上げられている。側面及び天井は、それぞれイギリス積みと長手積みという異なる工法で施工。横から見るとレンガは6重に並び約66センチメートルの厚み。大震災でも、内部はひび程度の被害にとどまった。河床には花こう岩が敷き詰められ、100年間の土砂流に耐えていた。
委員会から保存が提言され、その打ち上げの席上でのことだ。タウン誌編集長の女性が、地域住民が主体の「友の会を立ち上げましょうよ」と提案した。思い入れのあった私は、今度は民間の立場から隧道の保存に奔走することになる。2001年、地元住民や学識者ら約150人が集まり友の会が発足した。
学習会や一般向けの見学会、会報の発行などを地道に手がけて6年。見学会の出し物として、トンネル内で尺八やピアノの演奏をしてもらったところ好評を得た。見学会の呼び水にはうってつけだが、経費は相当にかかり会費だけではまかなえない。事情を知ったくだんの編集長が「知事に直接言うわ」。どれほど効いたか分からないが、補助金が下りることとなり、活動に弾みが付いた。
毎月のコンサートには150~200人の観客が集う。舞台は隧道の真ん中。300メートル先の入り口に音が届く反響のよさは、演奏者を戸惑わせることもあるようだが、多くは気持ちよく演奏できたと喜んでくれる。6年前からは、毎年6月に地元の夢野中学校の生徒がブラスバンド演奏を行っている。下級生や親が応援に来て盛り上がる。
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通り抜けに1000人
4年前からは、普段は途中までしか入れない隧道の「通り抜け」を、11月の「土木の日」にちなみ毎年催している。出口では新しい「新湊川トンネル」に抜けるため、100年前から一気に現代に引き戻されるタイムトンネルのような感覚も味わえる。参加者は1000人前後と盛況だ。今後は、地元の商店街「神戸新鮮市場」との連携も進めながら、さらに住民に親しみをもってもらえる仕掛けを考えたい。
神戸では震災から20年が過ぎ、追悼行事も減りつつある。1月17日5時46分。隧道内で竹灯籠に明かりをともすようになったのは4年前。震災に耐えた隧道を、追悼の場としても守ってゆくつもりだ。人の命を守り暮らしを支える仕事、土木屋として生きてきた自分の責務と感じている。
(ささき・りょうさく=湊川隧道保存友の会副会長)
[日本経済新聞朝刊2016年8月22日付]
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