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元老 伊藤之雄著 政党政治への橋渡しを目指す

2016/8/21付 日本経済新聞 朝刊

本書は非立憲的な存在の元老が近代日本の立憲政治を運用した歴史の逆説を解き明かす試みである。

(中公新書・880円 ※書籍の価格は税抜きで表記しています)

大日本帝国憲法は天皇大権を定めながら、天皇親政を否定する。天皇の無答責性を確保するためである。それでは誰が立憲政治を動かすのか。最初は藩閥政府だった。藩閥政府は時間の経過とともに解体する。代わりに政治を主導するようになったのが元老である。

憲法制定者のひとり伊藤博文は、本書によれば「憲法上根拠のない元老という慣例的機関がいつまでも続くのを理想と思っていたわけではない」。伊藤は自ら立憲政友会を創設する。立憲政治は政党が荷(にな)うべきだったからである。ところが伊藤のみるところ、対抗政党の発達が遅れる。政党政治は時期尚早だった。元老政治が続く。

著者は元老および元老制度を「立憲政治の比較的円滑な展開や、政治参加の拡大と政党政治の展開を支えた」と肯定的に評価する。あるいは日本の近代化が成功した大きな要因の一つとして、元老たちに「共通の目標とモラルがあったこと」を強調する。共通の目標とは日本の国家的な独立の確保と発展を指す。モラルとは「腐敗を抑制する精神」のことである。

しかし元老政治も藩閥政治と同様に衰退していく。1924(大正13)年には元老は西園寺公望一人となった。西園寺は元老政治から政党政治への橋渡し役を務めようとする。

西園寺の理想はイギリスのような二大政党制だった。衆議院第一党の内閣が倒れると、西園寺は第二党から後継首相を推薦した。政友会と立憲民政党の二大政党制が始まる。

このような後継首相推薦様式は30年代の危機に直面して、変更を余儀なくされる。32(昭和7)年の五・一五事件によって政友会内閣が崩壊すると、西園寺は民政党からではなく、海軍「穏健派」の長老・斎藤実を首相に推薦した。その後も非政党内閣が続く。著者の分析によれば、37(昭和12)年1月頃、87歳の西園寺は元老の役割を事実上、放棄した。この年、日中戦争が起きる。3年後の日米開戦の前年、西園寺は政党内閣の復活をみることなく没する。

以上要するに、本書は元老が主導する開発独裁国家としての日本の近代化に光を当てている。光があれば影もある。政党政治の未発達が暗い影を投げかける。日本の近代化にとって、元老は必要悪だったと言い換えてもよい。立憲主義とは何かが問われている今日、本書は議論の中庸を尊び政党政治に習熟することの重要性を示唆している。

(学習院大学学長 井上 寿一)

[日本経済新聞朝刊2016年8月21日付]

元老―近代日本の真の指導者たち (中公新書)

著者 : 伊藤 之雄
出版 : 中央公論新社
価格 : 950円 (税込み)

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