油絵の大作・立体作品展示 欠落感埋める想像の連鎖
洋画家・遠藤彰子さん
迷宮の回廊、反転する天地、生者と死者の邂逅(かいこう)――。あふれる想像力から生まれる豊穣(ほうじょう)なイメージの画面に思わず吸い込まれそうになる。洋画家・遠藤彰子の創作世界は、恐ろしくも温かく、不安なのにどこか懐かしいおとぎ話のようだ。
相模原市民ギャラリーで6日始まった「遠藤彰子の世界展 ~COSMOS~」は、30点近い油絵や立体作品、多数の挿絵などを通し、文字通り画家の内なる宇宙(コスモス)を見る好機だ。
目を引くのは縦3.3メートルに及ぶ500号の作品や、それを横に2つも3つも貼り合わせた1000号、1500号の大作の数々。今も年間でのべ2000~3000号分の作品を、なんと細い面相筆を毎日1本つぶしながら描き続けているという。古希近い体のどこにそれだけのパワーがあるのだろう。
「リレー選手に選ばれたり、力も強かった。小さいころから体力はあった」。もちろん、子供のころから描くことへの異常なほどの愛情があった。「紙に向かえば一日中おとなしく描き、蝋石(ろうせき)で道路に落書きを始めると食事の時間も忘れて止まらなくなった」
イメージをどんどん重ね、広げていくスタイルは、早くから変わらない。「プロになった当時、ごちゃごちゃ画面に描き込む私の作品は評判が悪かった。でもそれを変えたら私の絵じゃなくなると思った」
初期の「楽園」シリーズは、結婚を機に移り住んだ相模原市の豊かな自然と野生の動植物たちに触発され、彼らと人間が共存する幻想風景を描く。あざやかな色彩とにぎやかさは「描くのが楽しくて仕方なかった」という同時期の特徴だ。
そんな画家人生に転機が訪れる。29歳で生んだ長男が、生後間もなく重病を患い、生死の境をさまよった。幸い一命はとりとめたが「平和と思える暮らしもいつ何が起きて壊れるかわからない」と、死と生を強く意識するようになる。その頃描き始めた「街」シリーズは、エッシャーを思わせる無限の迷宮のような建築や都市空間に、暗く表情の見えない人物たちがうごめく。画面が濃い陰影を帯び、社会や未来への漠然とした不安が表現されている。
この仕事が評価され、86年に安井賞を受賞。第二の転機となる。洋画壇の芥川賞と呼ばれる同賞受賞で一本立ちできたが、「評価された地点にとどまりたくない」と作風を一変させ、大作にも立ち向かう。
89年の「みつめる空」は、500号の画面に複数の異なる視点や重心を混在させ、天地をつなぐ入り組んだ階段に人物を多数配した作品。「見上げているけど見下げている、浮遊であり落下のような感覚を同時に入れ込んだ」。既存の常識を打ち破る複雑な構造が、大きな画面を欲し、以降の大作にダイナミズムをもたらした。
「デビューから毎日休みなく描き続けている」という。絵が心底好きなのは間違いないが、それだけではないようだ。「現実に何かが欠けている感じが常にある」と打ち明ける。絵画制作はその欠けた何かを埋める作業でもある。描いても描いてもこの欠落感はなくならない。だから今日もまた、画布へと向かう。
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絵空事と現実の交差点
美大受験で胸像を描く課題が出た。「あんまり早く終わったから、1つ描けばいいところに10体も描いちゃった」。結果はもちろん不合格。1浪後に合格した短大で、教官から「お前か! あの真っ黒な絵を出したのは!」と怒られたそうだ。今となっては笑い話だが、描かずにはいられないこの性分が画家の強力なエンジンとなっている。
もう一つの原動力となっているのが「現実への欠落感」なのだが、これが難しい。いったい欠落のない世界とは何なのだろう。完全な桃源郷か、選択し損ねたありうべきもうひとつの並行世界か、はたまた合わせ鏡が映す革命的な反転世界か。遠藤氏の描く絵はそのどれとも違う気がする。幻想的でありながら、なぜか自分のことのように近くに感じられるのだ。
「現実からあまり離れて絵空事になっちゃ面白くないのよ」。絵空事という言葉を当の絵描きさんから初めて聞いたのがじわじわと面白く、疑問がどこかに吹き飛んでしまった。
(文化部 富田律之)
[日本経済新聞夕刊2016年8月10日付]
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