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歯磨き習慣の定着、江戸っ子から「吉原でモテたい」口臭ケア

2016/8/12

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PIXTA
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男性より女性の方が自分の口臭に敏感――。日本歯科医師会がそんな調査をしたそうだが、江戸時代は逆だった。日本人の歯磨き習慣はいつ始まり、口臭エチケットはどう変わってきたのかをたどってみた。

歯磨きの起源は紀元前5世紀ごろのインドにまで遡る。釈迦が口臭のひどい弟子たちのために、読経の前に小枝で歯磨きをすることを戒律に定めたという。それが仏教伝来とともに日本に伝わり、公家や僧侶、武家に身を清める作法として広まっていった。

木の枝でどうやって歯を磨いたのだろうか。横浜・桜木町駅近くの「歯の博物館」に歯磨き用の木があるというので、訪ねてみた。

神奈川県歯科医師会館の7階にある博物館はこぢんまりしているが、古今東西の歯ブラシや歯磨き粉、義歯から明治・大正・昭和の診療台や浮世絵、ポスターまでいろんな物を収めている。何だかタイムスリップした感覚。その中に目指すものがあった。「高野山金剛峯寺の歯木(しぼく)」とある。割り箸を割った感じといえばいいだろうか。

江戸の歯磨き粉 陶土が主原料

博物館の陳列棚を2~3時間ほどのぞきこんでいるうちに、様々なことがわかってきた。歯磨きが庶民に広がったのは江戸時代中期。歯磨き粉と房楊枝(ふさようじ)が商品になったのがきっかけだ。

陶器の材料となる陶土から作る磨き砂に、薬効のあるハッカやチョウジなどを加えたものが歯磨き粉だ。また、房楊枝はヤナギやクロモジなどの木の枝の先端を房状にしたもの。柄の部分は舌苔(ぜったい)をこすり落とせるようになっており、朝起きて歯を磨き舌をこすることが、身を清める習慣として江戸の町の庶民に定着した。

なぜ「歯木」の呼び名が楊枝に替わったのだろう。館長で日本歯科大学客員教授の大野粛英さんに聞くと、インドで修行した唐僧・玄奘三蔵が訳した語という。「中国では柳の木を使ったので、柳を意味する楊の枝となった」。それが日本に伝わったわけだ。

江戸の男は白い歯にこだわった。理由は「歯が汚れて口臭があると吉原の遊女に嫌われたから」(大野館長)。歯の白い男はだて男であり、歯磨きをするかどうかで江戸っ子か田舎者かを見分けたという。江戸後期の文化・文政期には、吉原に近い浅草寺境内に数十店の楊枝店が軒を並べ、房楊枝や歯磨き粉などを売っていた。美人の看板娘を置いて客の気を引いた様子が浮世絵になっている。

クジラのひげに馬の毛植える

博物館には江戸時代の房楊枝を再現した陳列品がある。「房楊枝を作れる人は伝統工芸師の浮原忍さんしかいない」と大野館長。79歳の浮原さんが実演する房楊枝講座があると聞き、改めて博物館に足を運んだ。浮原さんはノミや小刀などを駆使し、50センチほどの原木の枝から15センチぐらいの房楊枝を作り出していく。6時間煮た後、先端を木づちで細かくたたき、針のすき具で房を作るのは見事だ。

房楊枝と江戸時代の紅染め高級歯磨き粉で歯を磨かせてもらった。実に柔らかい歯当たりだ。ゴシゴシ磨きがちなわが身には「これで本当に磨けているのか」という気もするが、パウダーのような歯磨き粉を水でぬらして磨いてみると、細かい粒子のザラザラ感があり、歯を研磨しているんだなと実感する。

幕末に開港した横浜に近代西洋歯科医学が入ってきて以降は、現在のような形の歯ブラシが登場する。1872年発売の洋風第1号の「鯨楊枝」は、クジラのひげに馬の毛を植えたものだった。それでも明治中期まで房楊枝が使われていたことは、博物館所蔵の石版画でわかる。

80年ごろに登場した竹の柄と豚毛の「竹楊枝」は徐々に広まる。その後「歯ブラシ」を初めてうたったのはライオン(当時・小林商店)の「萬歳歯刷子」だ。

歯磨き粉も進化した。72年に炭酸カルシウム粉末の西洋歯磨き粉が登場。16年後に資生堂が初の練り歯磨きを製品化する。戦後には葉緑素やフッ素入りが出て「歯の表面の汚れを物理的に落とす時代から、美白・殺菌効果のある化学的歯磨きの時代へと転換した」と大野館長は解説する。

大正時代には学童への歯磨き啓蒙運動が盛んになった。ライオンに聞くと、1922年ごろには専門講師を小学校に派遣して実地指導を始め、全国に広げたという。6月4日が「ムシ歯予防デー」になったのは28年、昭和初期というのにはびっくりした。

夏休みの自由研究の一環として、親子で歯磨きの歴史を振り返りながら、歯磨き習慣を確認してはどうだろう。

記者のつぶやき

■女性お歯黒 虫歯予防も
 歯の博物館内にはお歯黒に関する一角もあった。そもそもお歯黒は黄色人種にあった風習で、日本では平安末期に公家や武家の間で元服の儀式になったという。室町から江戸時代にかけては既婚女性の貞節を示す印として、庶民に定着した。毎朝夫が起きる前に塗ることが身だしなみだったという。お歯黒には虫歯を防ぐ効果があったというのも興味深い。
(福沢淳子)

[日経プラスワン2016年8月6日付]

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