北方謙三「大水滸伝」シリーズ、17年かけ完結思惑超え動く豪傑たち

作家の北方謙三(68)が17年前に始めた「大水滸伝」シリーズ(全51巻、集英社)が「岳飛伝」17巻で完結した。「書き手の意思を超える物語の醍醐味を感じた」と振り返る。

「王道、覇道という国家観は孟子の思想であり、それを一緒にしたのが秦の始皇帝。次々と王朝が変わった中国を舞台にして、国家のありようと個人の関わりを描く物語が書けるのではないか」

そんな思いで取り組んだのが、1999年に小説誌連載が始まった北方版「水滸伝」(全19巻、司馬遼太郎賞)。12世紀、北宋末期に梁山泊(りょうざんぱく)に集い、官軍に反抗した宋江ら108人の豪傑の活躍を描いた中国四大奇書の一つを換骨奪胎した。

シリーズ第2弾の「楊令伝」(全15巻、毎日出版文化賞特別賞)は梁山泊の新たなリーダーとなった楊令らが、宋王朝(北宋)の崩壊に立ち会う。このほど完結した第3弾の「岳飛伝」(全17巻)は楊令の死後、南宋の軍閥として頭角を現した武将、岳飛(がくひ)を中心とした群像劇。女真族の阿骨打が建国、その息子の兀朮(ウジュ)が軍を率いる金、老練な秦檜(しんかい)が宰相を務める南宋、そして梁山泊という3者が拮抗する。

中国の子午山を取材(2010年)

「『水滸伝』が国家を倒す物語、『楊令伝』が国家を造る物語なら、『岳飛伝』は(登場人物たちの)人生を書く物語となった」と北方は話す。岳飛は楊令の持つ名刀、吹毛剣によって右腕を奪われた過去を持つ。「コンプレックスを抱える岳飛をあえて主人公に設定した。彼が失われたものを取り返そうとする物語でもある」

史実では、岳飛は南宋で勢力拡大を恐れた秦檜によって謀殺されたことになっている。「そうした史実を踏まえながらも、どう飛躍させるかが小説的な想像。なぜ死なないで済んだのかを、説得力を持つように細かく書いた」と語る。

「一番やんちゃで、こうありたいと思う願望の産物」である梁山泊の遊撃隊長、史進ら、多くの心引かれる人物が登場する。その背景には「こっち側の人間を魅力的に見せるには、あっち側も魅力的に書かなくてはいけない。負け方をいかにかっこよくするかを大切にした」との人間肯定の姿勢があるようだ。

物語は書き手の思惑を超えて動くということも改めて実感した。「(梁山泊軍の武将で岳飛とライバル関係だった)花飛麟に関してはいろいろ伏線も張っていたのに、結局、早々と戦死してしまった。生殺与奪の権利は作家にあるように見えて、そうではない」。登場人物たちがリアリティーある人格を自ら形作っていったとの手応えも感じた。

時には、読者の声に応えて変更することもあった。「岳飛伝」で梁山泊のリーダーとなる呉用は本来は火災で亡くなっていた人物だ。熱心な読者108人を集めたイベント「北方梁山泊の会」で「死体が見つかっていないのでまだ死んでいない」との強い声に押され「復活」させた。

400字詰め原稿用紙2万5500枚に万年筆を走らせた日々。「書けることならここまで書きたいと思っていたが、17年前に始めたときはまるで夢物語だった。シリーズものは第1巻は売れても、なかなか続かないことが多い。読者が付いてきてくれたから続けることができた」と感謝する。

「大水滸伝」シリーズは終わったが、それに続く物語の構想もすでに抱いている。「岳飛伝」最終巻で楊令の遺児で兀朮の養子、胡土児(コトジ)は蒙古へと向かう。手に持つのは吹毛剣。「彼がテムジン(チンギス・ハーン)の父親となっても不思議はない」と北方は笑う。

中国との交易を指揮する日本人、炳成世(へいせいせい)は赤い旗を掲げる武士の旗頭、すなわち平氏であることも明らかにされた。壮大な物語の紡ぎ手の頭の中では、次の構想が着々と固まりつつある。

(編集委員 中野稔)

[日本経済新聞夕刊2016年8月2日付]

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