大きな鳥にさらわれないよう 川上弘美著破滅が進む気配と健気な日常

この中に、既に知っていたこと、予想できることは殆(ほとん)ど無い。名久井直子装幀(そうてい)の、愉(たの)しいような虚(うつ)ろなような表紙を撫(な)でてから繰った一頁(ページ)目、その出だしは、「今日は湯浴(ゆあ)みにゆきましょう、と行子さんが言ったので、みんなでしたくをした」。何か不思議な湯浴みの気配。次の頁に「夫に抱きしめられると、厚地の布にきれいにくるまれたような具合となって、とても心地いい」という、この作者らしい言葉が現れたときはホッとした。

(講談社・1500円 ※書籍の価格は税抜きで表記しています)

次に現れる物語は、「今日、私が来た」と始まる。ん? 途端にまた途方に暮れる。言葉は柔らかく優しいが全てが、私は考えたことのないこと。先行きが想像できないのである。そして読み終えると、描かれていたのは人類絶滅へのなりゆきだった。人口数が臨界点を下回り、しかし人類はそのことに深く思いを致さない。「じゃなきゃ、あんな暢気(のんき)に大戦やらテロやら汚染物質拡散やらをめんめんと続けたりしなかったろうよ。楽観的なこった」と語り合う二人によって、その対策がとられる。ともかくも絶滅の日を遅らせようという努力がなされた、その後のこの世の物語である。

毎回、次の話に進むと前の話の本筋が確認できるという、不思議な描き方である。こんなことを書いてしまって私は今、読者のスリルを奪っているのではないかと後ろめたい。

これはヒロミ黙示録。日本語を知らない神様に代(かわ)って書かれたもの。「生きてることに」「飽きたら死んでもいい」「でも(略)『争い』とかで、無理やりな感じで死なされるのは、まっぴらごめんだ」と語らせるのは、神の身代わりとしての嘆きであり警鐘である。

新しい破滅が進む気配の中に、それと知らぬ健気(けなげ)な暮(くら)しがあり、全てを包みこむような大きな愛と、生きることの細かな戸惑いが絡み合い、それ故に繰り返される祈りが漣(さざなみ)だつ。

「もう人間は、あなたたち以外、いないのよ」と告げられる二人の少女が描かれる。人類は「気配」として其処(そこ)に漂う。「ファンタジイでありながらシリアスで懐かしい物語」と筒井康隆の帯文にある。そうだなあと思う。そして「哀れ」。永遠という思い込み、その錯覚の中で誰彼が健気に生きることの哀れ。懐かしいような切ない未来が、其処に在った。

安全圏での書き方に安住しない作者の、ある時ふっと浮遊し遠出する想念。我と我がひらめきを見つめる集中力。想念を言葉によって具象化する根性に惚(ほ)れ惚(ぼ)れしながら、あぁこういうことだったのですねェと本を閉じて、ぼんやり外を眺める。

(俳人 池田 澄子)

[日本経済新聞朝刊2016年7月17日付]

大きな鳥にさらわれないよう

著者 : 川上 弘美
出版 : 講談社
価格 : 1,620円 (税込み)