元寇船・オランダ商船… 眠る水中遺跡、呼び覚ませ
沈没船や水底に沈んだ遺構などを対象にする水中考古学の調査に拍車がかかっている。日本の近海にはこうした水中遺跡が数多く存在すると見られるが、欧州や中国、韓国などと比べると実績面で大きく見劣りする。国や自治体、研究機関は当面の課題として、陸上の埋蔵文化財並みの体制作りを急いでいる。
「やはり元寇(げんこう)船だ」。九州北西部、伊万里湾に浮かぶ鷹島(長崎県松浦市)で昨年、同市が琉球大学と共同で実施した海底調査。潜水した同市文化財課の内野義氏は、水深15メートルの海底で船の残骸を目の当たりにした。
前年、音波探査で発見した遺物の再調査で、長さ12メートル、幅3メートルの船体の一部を確認した。12~13世紀の中国産の陶磁器約20点が船内や周辺で見つかり、元寇の際の沈没船だと確定した。
1281年の弘安の役では、大陸から襲来した軍船約4400隻の大半が鷹島沖で暴風雨により沈没したとされる。元寇船の発見は2011年に続き2件目。12年、周辺は「鷹島神崎遺跡」として水中遺跡では唯一の国史跡に指定された。今夏も調査を実施。「新たな沈没船の発見は確実」と内野氏は見込む。
重要課題は、見つけた遺物の保護と活用の方法だ。鷹島沖の2隻は水中発掘の後、シートで覆って現地保存している。引き揚げて調べれば、さらに多くの成果が期待できるが「多額の費用が必要。自治体の予算や人員で対応できるレベルではない」(内野氏)。地元では国が中心となった調査や、国による専門の研究機関の設置を望む声が強い。
海に囲まれた日本に水中遺跡は多い。北海道・江差沖で1868年に沈没した旧幕府軍の開陽丸、縄文期以降の様々な時代の遺物や遺構が見つかっている琵琶湖湖底遺跡、海底に大量の中国製陶器が散乱する鹿児島の倉木崎海底遺跡などが確認されているが、存在さえ知られていない遺跡も多いとみられている。
海外に後れ取る
欧州ではスウェーデンや英国などが1960年代から水中調査を本格化。中国や韓国も近年、水中専門の国立の研究機関を設け、競うように沈没船を引き揚げている。
しかし日本では鷹島のように本格調査された水中遺跡はごく一部。文化庁によると、国内の埋蔵文化財約46万件のうち水中遺跡は2012年度で512件にとどまる。年間約8000件に上る発掘調査の中で、水中遺跡は1件程度。
陸上の文化財については文化財保護法で手厚く保護され、多くの自治体は専門の職員を置く。奈良文化財研究所(奈良県)など国立の研究機関が技術面で指導・協力し、国は補助金で後押しする枠組みだ。だが水中遺跡は実質的にこうした枠の外に置かれてきた。
日本は欧州に比べて調査の難易度が高い水深10メートル以上の海底の遺跡が多いという事情がある。また発掘の主体は開発から遺跡を保護する緊急調査で、急を要するケースが少ない水中遺跡は後回しになりやすかった。
国立の研究所を
海外からの立ち遅れを危惧する声が高まったこともあり、文化庁は水中遺跡調査の体制作りを目指して「水中遺跡調査検討委員会」を2013年に発足。今年3月、「日本における水中遺跡保護の在り方について(中間まとめ)」を発表した。陸上と同様、水中でも自治体が中心的な役割を担うべきだとの方向性だ。
今後、主導的な役割を期待されるのが九州国立博物館だ。昨年10月、文化庁の委託を受け、福岡県新宮町の相島沖の海底で調査を実施。平安期の瓦などを発見した。同月、沖縄・先島諸島の多良間島沖でも19世紀に沈没したオランダ商船ファン・ボッセ号の積み荷と見られる遺物を発見した。
2つの水中遺跡では調査手法の確立を目指し、様々な試みが実施された。まず地元の漁師やダイバーに聞き取りを行い、周辺の情報を収集。海域を絞り込んで音波調査。水中ロボットでの撮影やレーダーによる地形図・断面図作製を経て、潜水調査へとつなげる。「今後のモデルケースになる」。同館博物館科学課の佐々木蘭貞氏は述べる。
東京海洋大学の岩淵聡文教授は「やはり国立の専門調査機関が必要だ。実績を積み重ねていけば、そうした機運も高まっていくのでは」と期待する。
(大阪・文化担当 田村広済)
[日本経済新聞朝刊2016年7月9日付]
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