6メートルの大宇宙、果てぬ輝き 柏プラネタリウム
プラネタリウム解説員 駒井仁南子
♪夕焼け小焼けで 日が暮れて 山のお寺の 鐘がなる
童謡「夕焼け小焼け」の1番が終わるころ、太陽が富士山の麓に向かって沈んでいく。赤く染まった空が、だんだんと暗くなっていく。
2番が流れ始めた頃には、頭上に無数の星が輝き始める。「わぁ」。園児や引率の保育士から歓声が起こる。直径わずか6メートルのドーム状のスクリーンが、星空に転じる瞬間の驚きや喜びは、子供も大人も同じだ。
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宇宙船の操作室のよう
ネオン輝く都会であっても満天の星を楽しめる場所、プラネタリウム。私は首都圏の公立で最も小さい柏プラネタリウムを、有志のメンバーと共に運営している。
千葉県のJR柏駅から徒歩約10分の柏市立図書館の2階にある。開館は1976年。その前年に製作された光学式投影機が約2800個の星を映し出す。年代物の投影機の操作盤は、さながら宇宙船の操作室のようだ。たくさんのボタンやつまみ、画面、アナウンス用のマイクが所狭しとひしめく。
投影機の周りに並ぶパイプ製のリクライニング椅子40席に座る来館者の反応を見ながら、流す音楽や解説の流れを変えるなど、臨機応変に対応する。子供が対象の時は一緒に星座を探したり、常連さんが多ければ専門的な説明を増やしたり。来館者との距離が近いからこそできる手作りの上映を続けている。
「光と時間」(5月)、「宇宙実験」(6月)など毎月プログラムを更新し、四季折々の星座や最新の知見を盛り込んだ宇宙の話題を解説する。星にまつわるギリシャ神話や日本の民話を語ることもある。「竹取物語」「七夕ものがたり」など天空に映し出す絵は、知り合いに描いてもらったオリジナル作品だ。
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何度も存続危機に直面
一般投影は原則、第2、第4の週末、幼児投影は要望を受けて随時実施する。年間の投影回数は一般向けが約120回、幼児向けが約200回で合計の来館者数は5千人を超える。市内からの来館者が中心だが、「プラネタリウムを見るために柏に来た」と東北や九州から訪れる人もいる。
おかげさまで市民らに愛されて運営を続けているが、過去には何度も存続の危機に直面した。開館当初は、市職員が投影を担当していた。しかし、時がたつにつれ機械を扱える人が徐々に減り、投影機の不調や図書館の再整備の話も浮上して「閉館やむなし」の声は幾度となく聞かれた。
都内のプラネタリウムの解説員の仕事をしながら、柏プラネタリウムの運営にも少なからず関わっていた私に、存続に向けて運営を任せられないかと打診があったのは今から約10年前のこと。本業との二足のわらじに不安はあったが、「柏の文化的財産を残したい」との思いから、運営するためのボランティア団体「柏プラネタリウム研究会」の代表に就いた。
研究会のメンバーは約10人。学生や社会人など年齢も肩書も異なるが、来館者に寄り添う小さなこの空間を守ってゆきたいという思いは同じだ。投影の操作や上映プログラムの構成、チラシやパンフレットづくりなど、ほぼ手弁当で行っている。現在は柏市から委託を受け、毎年契約を更新する。
子供の頃から自然科学に興味を抱いていた私と星の出合いは中学生の時だった。北海道で見上げたすばるの輝く星空に感動した。人間の命や地球、星々を包み込む宇宙とはいったいなんだろう――。天文の魅力に引き込まれた瞬間だった。
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素直な疑問が励みに
星を見て私が感じたようなことを、投影を見た人たちも感じてくれるのは喜びだ。「宇宙に壁はありますか?」「太陽がなかったら地球はどうなりますか?」。来館者から寄せられる素直な疑問はいつも新鮮で励みになる。こうした反応を受けて、メンバーは真剣にテーマ作成に取り組む。
ある中学生の男の子が「天文部を作ったよ」と報告しにきてくれたこともある。一般の人と天文をつなぐ橋渡し役になりたい。その思いを新たにするとともに、私も仕事と地道な活動を両立させていこうと励まされた。
私たちが住む地上では悲しいこと、つらいこと、大変なこと、いろいろあるけれど、見上げれば星は変わらずそこにある。今年40周年を迎えた柏プラネタリウムが、多くの人にとって変わらぬ居場所であってくれたらいいなと思っている。
(こまい・になこ=プラネタリウム解説員)
[日本経済新聞朝刊2016年7月1日付]
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