パタゴニアの野兎(上・下) クロード・ランズマン著恋から盗み撮りまで明け透け

著者のクロード・ランズマンは、ドキュメンタリー映画の監督である。

(中原毅志訳、人文書院・各3200円 ※書籍の価格は税抜きで表記しています)

彼が12年かけて作った9時間半の超大作「ショア」(1985年)は、ナレーションや資料映像を使わず、当事者たちの証言だけでナチスによるユダヤ人大虐殺(ショア)を鮮烈に描き出し、ポーランド政府を激怒させ、激しい議論を巻き起こした。ユダヤ系フランス人であるランズマン自身、戦争中はレジスタンスに身を投じ、ナチスと闘ったことで知られている。そんな彼は、僕にとっては同業者、というよりは伝説的存在だ。

そのランズマンが自らの冒険に満ちた半生を回想したのが本書。彼自身についてのセルフドキュメンタリーともいえよう。

ドキュメンタリストとして他人の人生を丸裸にしてきた以上、自分に対しても手加減はできないという考えなのだろうか。あるいは「歴史と真実のために働く者」としての矜持(きょうじ)であろうか。あまりに赤裸々で驚いた。お陰(かげ)で、読み物としてスリリングなだけでなく、歴史を証言する貴重な資料となっている。

サルトルとボーヴォワールとの間に結んだ濃密な三角関係をはじめとした、無数の色恋沙汰(やたらと恋多き男である!)。レジスタンス時代の命がけの活動。妹の自殺。ジャーナリストとしてイスラエル・パレスチナ問題やアルジェリア戦争を取材した時代の裏話。「ショア」にまつわる出来事の数々。それらをすべて、関係者の実名を挙げながら、こちらが心配になるくらい明け透けに記している。

そうした自己開示の徹底ぶりも含めて、とにかく肝が据わった人だと感嘆させられる。

例えば「ショア」には、ユダヤ人虐殺に関与した元ナチスの証言を盗み撮りする場面がある。カメラが回っていることを知らぬ被写体は、自らの犯罪行為を滔々(とうとう)と語るのだが、いくら相手が元ナチスとはいえ、倫理的に問題をはらんだ手法である。現実的な危険も伴うであろう。

だが、ランズマンにためらいはない。パスポートを偽造して身分を偽り、小型カメラをバッグに隠して盗撮を敢行する。その毛の生えたような心臓と倫理観、サバイバルのスキルは、きっとレジスタンス時代に培われたのであろう。彼の本質は、銃をペンやカメラに持ち替えた「闘士」なのだと思う。

ただ、不正義を憎む彼が、なぜイスラエルのパレスチナ政策を批判しようとしないのか。本書がその点に触れていないことが、残念であった。

(ドキュメンタリー映画監督 想田 和弘)

[日本経済新聞朝刊2016年6月19日付]

パタゴニアの野兎 ランズマン回想録 上巻

著者 : クロード ランズマン
出版 : 人文書院
価格 : 3,456円 (税込み)