植民地を読む 星名宏修著
台湾での日本人の無意識探る
来日する外国人がここ数年で急増したことは、街を歩いていても実感されるだろう。2015年、2000万人近くに達した訪日外国人のうち、台湾人は360万人以上で、2割近くを占める。台湾の人口は約2300万人なので、ざっと6人に1人が来日している計算である。一方日本からも160万人以上が台湾を訪れている(14年)。
台湾は1945年までの50年間、日本の植民地だった。30年代、人口の約5%を占めた日本人が、自らも住む植民地台湾をどう見ていたのか。本書は戦前の台湾で活動した日本人の小説などを、当時の資料や現在の研究を参照しつつ読み解くことで、日本人の植民地に対する視線を明らかにする。
本書に出てくるのは作家だけではない。台北帝国大学医学部教授、放送作家、家政女学校教員、新聞記者、総督府に勤める歌人など。高名な解剖学者の金関丈夫を除けば、専門家でも目にしない名前が多い。各章では、指紋、パスポート、ラジオ、先住民族統治、看護助手、大陸進出、そして「美談」などの作品の主題を、歴史的事実に基づき丹念に読み解く。
市井の生活者だからこそ、彼らの作品には、日本人の支配する植民地としての台湾観がうかがえる。しかも著者が光を当てるのは、作品の細部や書かれなかった事実である。台湾人に対する偏見や先住民族に対する恐怖が、無意識にまで刷り込まれていたのである。
彼らも決して故意に台湾を見下していたのではない。例えば9章に出てくる柴山武矩がそうで、35年、台湾中部を襲った地震の直後、君が代を歌いながら死んだという台湾人少年の「美談」を記録した。「国語」教育雑誌の編集や、総督府の嘱託をしていた柴山が、「美談」の誕生と流通に積極的に関わることで、同化政策の一端を担ったことは事実である。
とはいえ柴山が突出した翼賛作家だったわけではなく、植民地という場所、戦争という時代が、生活の記録を詠う歌人を、宗主国の日本人に仕立て上げた。場所や時代の影響は1章の、沖縄・八重山の出身者が台湾で、内地人から差別されつつ台湾人を差別した経験にも顕著である。偏見、無理解、傲慢が端々に透けて見える他の日本人にしても事情は同じだろう。
戦前の日本人の台湾経験は、戦後のそれとは断絶しているだろうか。良好な日台関係は時として、複雑な歴史や私達の深い意識を見えなくさせる。台湾に足を運んだことのある方、台湾と縁のある方にこそ一読を勧めたい。
(比較文学者 大東 和重)
[日本経済新聞朝刊2016年6月12日付]
ワークスタイルや暮らし・家計管理に役立つノウハウなどをまとめています。
※ NIKKEI STYLE は2023年にリニューアルしました。これまでに公開したコンテンツのほとんどは日経電子版などで引き続きご覧いただけます。