詩人・吉増剛造、越境する表現
国立近代美術館で個展
現代詩の最前線を走り続けている詩人、吉増剛造。その多彩な表現の全貌に迫る大規模な展覧会が東京で開かれている。活字の枠を超えた吉増芸術の果敢な冒険を紹介しよう。
77歳にして創作の勢いが止まらない。自らの詩的な来歴を語った「我が詩的自伝」(講談社)や、詩集「怪物君」(みすず書房)を出版。全3巻の「GOZOノート」(慶応義塾大学出版会)、「心に刺青(いれずみ)をするように」(藤原書店)といったエッセー集も刊行した。
同時に東京・竹橋の東京国立近代美術館で、活字だけでなく映像、写真、録音した音声、銅版彫刻など多岐にわたる表現を集大成した「声ノマ 全身詩人、吉増剛造展」を開いている(8月7日まで)。同館での現存詩人の個展は初めて。
会場を巡れば、多ジャンルの活動が、目に飛び込んでくる。22歳から書き続けた日記帳や、自らの声を記録した数百本に及ぶカセットテープが並び、「ゴーゾーシネ」と命名された映像作品が大画面で流れる。多重露光による写真作品は、吉増氏の非凡な映像感覚を証明してもいる。文化功労者、芸術院会員の功成り名遂げたイメージを突き破る作品群である。
中でも注目は、詩を書く行為を、ビジュアルな表現として成立させたドローイング(筆写)作品だ。
映像や音声も
「怪物君」と命名された詩編の自筆原稿が、3巻の巻物のような一続きの紙となって、幅33メートルの壁に掲げられている。この詩作は、吉増氏の転機となった。「東北の震災後、50年間書き続けてきた日記をやめました」。その代わりに始めたのが「怪物君」の詩作だった。怪物とは「人間にキバをむく自然の怪物性」のことを表すが、そこに、「中国語で心の底から尊敬する人への呼称でもある『君』という深い言葉を乗せた」呼び方だ。
イシス、イシ、リス、石狩乃香、……
兎! 巨大ナ静カサ、乃、 宇!
これにさらにルビや傍点、注などを付した詩から、意味を追うのは不可能に近い。しかし、音読すればア音、イ音、ウ音と続く音韻のリズミカルな響きから多様なイメージが立ち上がってくる。「詩というのは、言葉と音の間のような微妙な所にあるものだ。意味だけではない」。吉増氏は、フランスの大詩人ポール・ヴァレリーのそんな言葉を思い起こしたという。
吉本隆明への思い
その後「怪物君」は、思わぬ転生をとげていく。震災から1年後、フランスに滞在中に、吉本隆明の訃報を聞いた。巨大な詩人思想家への思いが湧き上がる。20代の吉本が1年半にわたり日々書き継いだ約480編もの詩編「日時計篇」の書写を始めるのである。
「お会いして話したのは、たった1度ぐらい。むしろ没後の門人です」。しかし、大きな恩義があった。
吉本は吉増氏を、日本の現代詩でプロの詩人と呼べる3人の内の一人に挙げていた。ほかは田村隆一、谷川俊太郎である。その上で、丸や点といった記号、符号まで動員して表現を拡張する詩業を高く評価した。和歌や俳句の韻律を超えて、日本語の民族語としての特色を根源まで掘り下げて追究する詩人と見たからである。吉増氏には「奈良朝以前の日本語」に踏み込もうとする姿勢があるという。
「従来見過ごされていた初期の詩編に吉本さんの根源の手が見える」と考えた吉増氏の「日時計篇」への取り組みは、巨大な先師の手業(てわざ)に肉薄する試みである。
「日時計篇」「〈手形〉詩篇」に続き、書写は「西行論」「マチウ書試論」「言語にとって美とはなにか」「母型論」といった主要な評論にも及んでいく。平仮名を片仮名に変えたり傍線を引いたり、彩色をしたりして、筆写は、新たな作品の創造へと発展した。
不思議な縁(えにし)のあった詩人思想家の言葉の泉に触れることで、初源の日本語を探究した巨人の詩心と深く共振れする試みでもあった。
時に朗々と時にうめくような吉増氏の声が会場に響く。詩を生み落とすその声は太古へ連なる日本語の言霊を今に呼び寄せている。
(編集委員 宮川匡司)
[日本経済新聞夕刊2016年6月13日付]
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