讃岐銘菓 引き立てる和三盆
淡い甘み 口中に舞う
サトウキビを日本で作るのは沖縄県と鹿児島県だけではない。香川県と徳島県の一部で少量が栽培され、それを原料に和三盆と呼ばれる高級砂糖が江戸時代の半ばから作られている。香川県内で今も製造を続けているのは東かがわ市内の2社のみとなった。やさしい甘みは和菓子で重宝されてきたが、最近は洋菓子にも用いられている。
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三谷製糖羽根さぬき本舗は文化元年(1804年)に創業した。秘伝として讃岐和三盆の製造を高松藩が認めた5軒のうち、唯一残る老舗として伝統をかたくなに守る。お茶とともに供された和三盆の干菓子を口にすると、泡雪のように溶けてまろみのある甘さが広がった。8代目の三谷昌司社長は「くせのないやわらかな甘さは、この地でできたサトウキビでしか生まれない」と強調する。
和三盆作りは地元農家に依頼して春に苗を植えたサトウキビを12月に収穫するところから始まる。サトウキビを絞った汁を、アクをたんねんに取り除きながら釜で煮詰める。いったん不純物を沈殿させ、上澄み液を再び煮詰めて冷ますと、茶褐色のどろっとした白下糖というものになる。
ここからが独特だ。白下糖を押し船という型に入れ、棒につるした石を重しにテコの原理で糖蜜を一晩かけて抜く。取り出した白下糖は職人が手でもみほぐす「研ぎ」を経て、再び糖蜜を抜く。これを繰り返してサラサラした和三盆に仕上げる。盆の上で3日間研ぐため、この名が付いたとされるが、白さが好まれる現在は5日間かけている。
研ぎを重ねて結晶の角をとり、糖蜜を抜けやすくして純度を高める。糖蜜を抜く過程で作業場の酵母が働き、うまみが増す。「だから量を追わず、伝統にこだわってきた」。サトウキビが育つ土地柄も重要で、鹿児島産などでは同じ甘さにならないという。一部が登録有形文化財である建物は風格があり、糖蜜を抜く作業場の一角は、併設した売り場からガラス越しにのぞくことができる。
和三盆そのものを味わえるのが、何も加えず木型で型抜きして乾燥させた干菓子だ。季節の花などをかたどった様々な形や色は目でも楽しめる。三谷製糖は昔ながらの素朴な丸い干菓子も作る。それを羽子板の羽根のように紙で包んだ「羽根さぬき」を伝統の証しとして商号にも掲げる。
和三盆で作った干菓子はお茶席での定番だが、三谷社長は「ほかの味を邪魔せず引き立てるのでコーヒーや紅茶にも合う」と語る。ジャムを作る際などにもぴったりだという。一般向けに商品を販売するだけでなく、各地の和菓子店などからも上品な甘さを求めて注文が舞い込む。
一方、伝統製法は受け継ぎつつ近代的な工場で和三盆の製造に取り組むのが、ばいこう堂(大阪市)だ。卸売りを手掛けていた和三盆の数量確保のため、1972年から旧引田町(現東かがわ市)に自ら工場を立ち上げた。2014年に新工場を建設し、年間500トンの和三盆を生産する。
工場内では従業員が和三盆を干菓子に次々に仕上げる。少人数なら工場の見学にも応じる。自社で菓子にして通信販売などを手掛けるほか、製造した和三盆を原材料として全国の菓子会社、酒造会社の梅酒向けなどにも供給している。
地元の香川県内では和三盆入りをうたった銘菓が多い。干し柿で作ったあんを和三盆を塗った麩(ふ)焼きのせんべいで挟んだ三友堂(高松市)の「木守(きまもり)」などが代表だが、最近は洋菓子にもよく使われるようになった。
洋菓子製造・販売のルーヴ(高松市)では和三盆をクリームと生地にたっぷりと使ったロールケーキ「和三盆手巻」(税別1500円)が月に3千本以上売れる。06年から発売し、ロールケーキの日本一を競う大会で14年に優勝した。長さは30センチメートルあるが、さっぱりした甘さで食べやすい。野崎幸三専務は「コストはかかるが、地元のいい素材を使いたかった」と言う。
農家の高齢化などで供給の先細りが懸念されたこともある讃岐和三盆だが、各地の和菓子店が製造元を支える動きなどもあり、手間暇かけて作る自然な伝統の甘さが受け継がれている。
薩摩藩が門外不出としてきた砂糖の製法が伝わったのはなぜか。高松藩は幕府の糖業奨励策を受けて平賀源内らが事業化を目指したが、良質の種キビが手に入らないまま軌道に乗らず苦労していた。
奄美大島の男がお遍路の道中で病に倒れたところを、藩の命で砂糖づくりに奮闘していた向山(さきやま)周慶がたまたま救い、その恩に応えて奄美から弁当箱に隠して讃岐に再び持ち込まれた種キビが長い期間をかけて根付いたとされる。和三盆は歴史のロマンも秘めている。
(高松支局長 真鍋正巳)
[日本経済新聞夕刊2016年5月31日付]
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