ハプスブルク帝国、最後の皇太子 エーリッヒ・ファイグル著欧州統合にも寄与 名門の粘り

第1次世界大戦後ハプスブルク王朝は瓦解し、皇家は財産没収の上、国外追放となる。廃位されたカール1世は亡命先で病死、帝位を継ぐはずの長男オットーはまだ9歳だった。本書はそのオットー大公の絶え間ない戦いの人生を、彼自身のインタビューを交えて辿(たど)ってゆく。

(関口宏道監訳、北村佳子訳、朝日新聞出版・1800円 ※書籍の価格は税抜きで表記しています)

オットー大公は98年という長い人生において、ある時はヒトラーから生命を狙われ(ナチスのオーストリア侵攻計画は「オットー作戦」と命名された)、ある時は共産主義の脅威をアメリカやイギリスに説いてまわり、亡命オーストリア人に手を貸し、さらには汎ヨーロッパ連盟の会長として欧州統合への道筋を探り続けた。ベルリンの壁崩壊の一穴となった「ヨーロッパ・ピクニック計画」にも関与している。67歳からは20年間、欧州議会議員として活動した。

本書では、こうしたオットーの行動全てが無私の精神に貫かれていたかのように描かれるが、そこは鵜呑(うの)み禁物である。なぜなら著者ファイグルは、監訳者曰(いわ)く、「熱烈なツィタ皇妃の崇拝者として知られ、ハプスブルク家再興を支持する君主主義者」であり、またオットーの長いインタビューでも肝心の点が語られていない。つまり王政復古への夢、それこそが彼の原動力であった。少なくとも1940年代ころまではその意図を隠していないし、母ツィタや弟妹たちを含めた一族の復帰運動の猛烈さは、新時代を望む人々に大きな警戒感を抱かせた。70年代においてさえドイツのブラント首相がオットーを危険視したほどだ。

この本の面白さは、その肝心な部分を隠したまま、オットーの言い分が披瀝(ひれき)されている点にもある。帝王教育を受けた彼は、ハプスブルク再興や自らの帝位獲得がヨーロッパ安定の最善策と信じたのだろう。それは反対者の目に時代錯誤以外の何ものでもないと映ったがゆえに阻止されたわけで、650年も続いた名門王朝一族の粘りと権利意識の高さには感嘆せざるを得ない。何しろオットーがオーストリア帝位継承権及び財産請求権の放棄に泣く泣くサインしたのは、48歳になってからなのだ。

だが歴史のダイナミズムは個人の思惑をはるかに超えている。オットーの精力的な帝位復興運動は、結果的に反ナチズム、反共産主義の側を支援することになったし、行き過ぎた民族主義への反省を踏まえたゆるやかな統合、即(すなわ)ち現在のEU誕生に間違いなく寄与したのだった。まさに激動の近代ヨーロッパ裏面史といえる、刺激に満ちた一冊だ。

(ドイツ文学者 中野 京子)

[日本経済新聞朝刊2016年5月29日付]

ハプスブルク帝国、最後の皇太子 激動の20世紀欧州を生き抜いたオットー大公の生涯 (朝日選書)

著者 : エーリッヒ・ファイグル
出版 : 朝日新聞出版
価格 : 1,944円 (税込み)

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