暗幕のゲルニカ 原田マハ著大戦前夜と同時テロ後が交錯

ある絵画との出会いが、人生を決める――そんなドラマティックな経験が、本作の主人公・八神瑤子と著者・原田氏に共通して起きたことだ。絵画の作者はパブロ・ピカソ。著者はピカソを小説内に取り込み、代表作「ゲルニカ」を巡る事件や謎を見事に浮かび上がらせる。

(新潮社・1600円 ※書籍の価格は税抜きで表記しています)

ピカソが愛人ドラ・マールと暮らす大戦前夜のパリ、ピカソを追い続ける瑤子が生きる現代を交錯させながら、「絵画」の持つ力に迫っていく美術小説。

ドラの視点で描かれるピカソが魅力的だ。ドラはピカソを「創造主」と呼び、畏れ、戦(おのの)き、愛してしまう。ピカソには妻がおり、別の女性との間に子もなしているが、同じ芸術家でもあるドラはピカソを誰より理解していると自負している。

一方、ニューヨーク(NY)で暮らすキュレーターの瑤子はアメリカ同時多発テロによって、最愛の夫を失った。プロポーズの際に夫から贈られた「ピカソの鳩(はと)」が形見となってしまう。

両方につながるキーワードは「ゲルニカ」ともう一つ「戦争」だ。スペイン内戦で標的となったゲルニカの惨状を知ったピカソはアトリエに引きこもり画(え)を描き続け、現代のNYではテロとの闘いという戦争が始まろうとしている。

瑤子は、自らが計画したピカソ展に「ゲルニカ」を展示させようとスペインからの借り出しに奔走する。剣ではなく、アートの力で戦争をとめるために。

人は同じ画を見たところで、まったく同じ感想は持たないが、作品の解釈や言葉が違っても、どこかで大きなイメージはつながっていく。故に反戦のシンボルとされるピカソの「ゲルニカ」は長きにわたり人々の心をとらえてきた。テロ後、何者かが国連本部のロビーに飾られていた「ゲルニカ」のタペストリーを暗幕で覆ってしまったのは、まさに画の持つメッセージの強さを恐れた者の仕業であろう。

本書の冒頭にはピカソの言葉が引かれている。

「芸術は、飾りではない。敵に立ち向かうための武器なのだ」

戦争という人類の最も醜い行為は、報復という負の連鎖を止めなければ、憎悪の無限ループに陥る。そんなループを断ち切ろうとするピカソの作品群は、ピカソ亡き後も生きる者たちを守ろうとしているよう。そう思ったら遠い昔の芸術家が間近に感じられた。

本作はペンという武器をふるって衝撃のラストを著した。その場面は絵画のようにわたしの心に焼き付いて離れない。

(女優・作家 中江 有里)

[日本経済新聞朝刊2016年5月29日付]

暗幕のゲルニカ

著者 : 原田 マハ
出版 : 新潮社
価格 : 1,728円 (税込み)

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