埼玉・行田 2つのフライ
おなかにずっしり存在感
埼玉県行田市には「フライ」と名が付く食べ物が2つある。行田フライとゼリーフライだ。フライというと油で揚げたものを想像するが、行田フライは鉄板で焼いたお好み焼き風の食べ物。一方、ゼリーフライは油で揚げるが、おからとジャガイモを練り合わせ、そのまま素揚げするのが特徴だ。ともに小腹のすいた時に食べると、ずっしりおなかに響いてくる。
秩父鉄道の行田市駅から15分ほど歩くと、左手に忍城が見えてくる。1590年、豊臣秀吉の小田原攻めの際、北条方についたとして、石田三成に水攻めを受けたものの落城せず、「忍の浮城」と名をはせた。行田フライを提供するのは市内で30軒以上。最初に忍城そばの「かねつき堂」を訪ねた。
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オーナーの大沢照夫さんは元市役所職員で、忍城の復元にも関わった。店を開いたのは約20年前。忍城を訪れる観光客から、「近くで名物を食べられる店があれば」と言われ、提供を始めたという。
行田フライを注文した。鉄板に水で溶いた小麦粉を流し込む。焼き色が付くころに卵を落として溶き、小さく刻んだ豚肉やエビ、ネギなどを入れて裏返す。木製の鍋蓋を使い、しっかり押して焼き上げる。最後に両面にソースを塗って出来上がりだ。
同じお好み焼きでも広島風はエビ、イカ、豚肉に加えて、焼きそばや餅まで入る。厚みが数センチになることがあるが、行田フライはいたってシンプルだ。青のりをかけ、箸で適当な大きさに切って口に運ぶ。
ソースは辛くも甘くもなく、ちょうど良い。かみしめていくと、ネギの辛みがいいアクセントになっている。大沢さんによると、ソースではなく、しょうゆで食べる人もいるという。
行田フライの由来は農家の賄い食だ。穀倉地帯でコメのほかに副業で小麦をつくっていた。貧しかった農家が小麦を少しずつ食べるため、水で溶いて焼くようになったといわれる。「当時は『水焼き』とか『ぺったら焼き』と呼んでいたようだ」(大沢さん)。
江戸時代中ごろから足袋づくりが盛んになり、昭和13年(1938年)の最盛期には全国シェアは約8割に達した。女性工員に賄いでつくった水焼きを売る農家が現れたり、工場主が休憩時に工員におやつとして振る舞ったりしたという。
フライと呼ぶようになった時期は定かではないが、行田市観光協会によると「フライパンが普及してからではないか」とみられる。
もう1軒、「深町」を訪ねた。創業50年を超す老舗で、お薦めはしょうゆ味のフライ。トウガラシをぱらりとかける。もちもちっとした生地に、しょうゆの香りが似合う。味は焼きトウモロコシのような感じだろうか。
食べている間も電話がよく鳴った。地元の人は電話で注文して、出来上がったころに来店して持ち帰りにするのだそうだ。
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ゼリーフライは、市内にあった「一福茶屋」が考案したといわれ、明治時代後期には販売されていた。ジャガイモとおからを練り合わせて、衣はつけずに、油で揚げる正真正銘のフライだ。店によってジャガイモとおからの配合比率が異なり、つなぎに卵を使う店もある。
「珈琲苑憩(いこい)」は喫茶店だが、ゼリーフライも提供している。素揚げした後、ソースをくぐらせており、うっすら表面にソースが光っていた。箸で崩すと中から湯気が出てくるほど。「おからのコロッケ」だが、パサパサせず、しっとりとした食感だ。
かねつき堂のゼリーフライは、おからにこだわり、仕込みは早朝4時から始める。「絞りたての熱いままジャガイモを合わせないと、いい味は出ない」(大沢さん)。ニンジンやネギなども入っている。
ゼリーフライと呼ばれる由来も定かではないが、売り出した当初、形が小判に似ていたことから、「銭フライ」がなまったものといわれる。
2009年に行田市がマスコットキャラクターをつくって「フライの町」を売り出し、全国的な知名度も上がった。店それぞれの特色は、郷土食としての懐の深さを感じさせる。
行田フライはフライパンがあれば簡単に作れるので提供しているのは専門店に限らない。喫茶店でもメニューに掲げる店がある。焼きそばを行田フライで包んだり、ソースのほかにマヨネーズをかけたりと食べ方も自在だ。最近はチーズやカレー風味などを試みているところもある。
ゼリーフライは精肉店でも手に入る。材料のおからが大豆イソフラボンや食物繊維などを含んでおり、健康によいと見直されている。ゼリーフライの健康食としての面を売り出そうという動きも出ている。
(マネー報道部 川鍋直彦)
[日本経済新聞夕刊2016年5月24日付]
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