「良い車」へ対立乗り越え 工場稼動で泣けてきたホンダ社長 八郷隆弘氏(下)

■USオデッセイを量産に移す前の評価会。販売、生産、開発の代表者の意見が激しく対立した。
米国仕様の「オデッセイ」の開発責任者代行を務めた(中央上が本人、三栄書房提供)

金型の発注前に1台当たりの原価を計算したら目標を5%以上も超えていました。日本主導の開発陣は新しい価値を追求し、米国の購買部門は「(部品が)高いのはしょうがない」と。しかし北米の販売部門は「そんなに高いならいらない」と罵り合いのような状態でした。「安くしろ」と机をたたいても仕方ないです。なぜ高いのか、どうすれば下がるのか。立場を超えて「生活者にとって良い車は何か」という視点で一つ一つの工程の必要性を話し合い、何とか2カ月で解決しました。

1998年9月、カナダ新工場でのラインオフ式典は舞台後方にいました。徐々にラインが新車で埋まっていく様子に、子どもの成長を見るようで「やっと世に出せたな」と泣けてきました。前例がない困難の中、求心力となったのは現地の危機感でした。北米で需要が伸びる大型車に参入しないとホンダの次の成長はないと。米国の販売目標は年6万台でしたが、2~3倍売れる車になりました。良い車を造ろうという気持ちが最後まで皆を1つにまとめたんだと思います。

■新車開発の責任者や米国駐在を経て、2008年4月にホンダ購買本部の四輪購買二部長に就任した。

福井威夫社長(当時)から突然「もう研究所はいいからさ」と内示を受けました。26年間研究所一筋で、全く予期していませんでした。ブレーキなど完成部品の購買戦略、最終コストを決める役割です。直後にリーマン・ショックが起き、グループ企業と生き残りをかけた「100年プロジェクト」を始めました。それまでは右肩上がりで仕事が仕事を生んでいたので、体質強化が課題でした。

生産現場や研究所に通って設備や工程の無駄を省く議論ばかりしていたため、購買の3年間は研究所に嫌われましたね。購買で最も大事なのは部品メーカーとの信頼関係です。日々の生産や開発、販売をしっかり伝えないと信頼を失います。外の見方を知ることも大事。例えば地方で昼に3社の工場を回り、夜は一緒に食事をして、何を共通の喜びにするか議論をした上でコストを下げていきました。

■原点には最初の配属時の上司の教えがある。

技術者は発表会、試乗会で達成感があり、次の開発に向かいます。しかし購買や生産はそこがスタートの世界で、車造りは1人でできません。ブレーキ設計時に上司から何度も「『ホンダ』の文字が取れたら誰も言うこと聞いてくれないぞ。ちゃんと自分で現場に行ってなぜ必要か頼め」と教えられました。立場にかかわらず、人を尊重し自由闊達な議論をして最適解を見つけていくことが肝心です。

〈あのころ〉
2008年の金融危機以降、自動車産業は日米欧で販売が急減、日本勢は円高にも苦しめられた。ホンダは14年連続で増えていた世界生産が09年に一転して前年比24%減に。F1撤退、新工場の建設延期を決め、需要の変化に対応しやすいよう世界6極の現地での開発、生産へ改革を進めた。

[日本経済新聞朝刊2016年5月17日付]

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