橋を渡る 吉田修一著多くの伏線と未来への想像力

我々は日々たくさんのものに出合う。そのうちのどれが自分の将来に重要な意味をもたらすかなど、いま現在は知りようがない。つまり“いまこの瞬間”がどんな未来につながっているのかがわからない状態で日々考え、行動しているのである。本作はこうした身体のリアルを強く感じさせる作品なのだが、おそらくはこの不安定さの中に、この物語を駆動させる起点が潜んでいるような気がする。

(文芸春秋・1800円 ※書籍の価格は税抜きで表記しています)

物語に登場するのは、なんとなく善良な人々。ビール会社で順調に出世している明良(あきら)、都議会議員の妻として満ち足りた暮らしをしている篤子、正義感あふれる報道番組を作っているテレビ局ディレクターの謙一郎。

そんな彼らが、それぞれの日常を脅かされる出来事を機に、自分の「正しさ」に執着するようになる。その過程が、都議会のセクハラヤジ問題や香港の雨傘革命、評者自身が関係した愛知県美術館の“猥褻(わいせつ)物”展示事件(自分のコメントを小説の中で読むのは奇妙な体験だった)など、2014年に実際に起きた事件を絡めながら描かれる。

だが、本作の大きな特徴は、全体の核となる明確な事件がないことである。このため読者は事細かに描かれる平凡な日常風景の一つ一つが、何にどうつながってゆくのかがわからないまま読み進めることになる(とりわけ第一章と第二章)。これは未来からの逆算で行動することが叶(かな)わない実人生と同じ状態であり、ストーリーとは別の次元でこの物語に現実感をもたらしている。

我々は「現在」から一歩も出ることはできない。しかし何気ない日常の細部や感情の断片に未来の予兆を見つけることはできる。本作はストーリーの中心を敢(あ)えて空白にすることで、読者に「想像する」という行為を誘発しようとしているように思える。さらに言うなら、どれだけ遠くまで想起できるか、挑発しているようにすら感じる。

では、当の主人公たちはどうか。彼らにはその場の感情がすべてのように見える。つまり彼らの「正しさ」はそういう時間感覚の中から生まれたものと考えられる。そしてそんな人々が作る未来とはどんなものなのか。それに対する著者の答えが、最終章で描かれる。詳細は本作の読みどころなので触れないが、このおぞましい未来像の中に著者の焦りや苛立(いらだ)ちを感じる読者も多いのではなかろうか。

目先の「正しさ」より未来の想像力を。伏線のみで構成されたとさえ言えそうな本作は多様な読みが可能だが、評者にはそう訴えているように思える。

(写真家 鷹野 隆大)

[日本経済新聞朝刊2016年5月15日付]

橋を渡る

著者 : 吉田 修一
出版 : 文藝春秋
価格 : 1,944円 (税込み)

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