奇異譚とユートピア 長山靖生著
明治期の豊かな虚構見つめる
奇異譚(たん)、ユートピアもの、驚異小説、未来予想、古典SF……本書で次々に紹介される物語群を総称するのは難しい。幕末から開国、そして国会開設が実現する明治二十三年まで。この間に書かれたある種のフィクションの系譜から近代日本の誕生を見つめ直すというのが本書の趣旨となろう。のちのSF文学、その大いなる啓発力を確認することも。
どの世にあっても人は虚構と現実のあいだを生きている。だから正史と並んで、当時人々が見ていた夢の記録を知らなければ時代の空気をとらえることはできない。しかしそうした虚構作品は正史の陰に埋もれてしまう。実際のところその多くは、今読んで楽しめるかといえば疑問符を付けざるをえまい。だから著者のような碩学(せきがく)が代表的な作家作品を読みやすく紹介し、その流れをまとめてくれるのはありがたい。奇異譚――とりあえずそう呼んでおこう――と言文一致の問題、福澤諭吉先生の実学志向や、坪内逍遥の文学的理想、また現代SFとの距離感の解説も勉強になる。
本書で紹介される奇想譚はいずれも「他者」との接触が契機になっている。つまり西洋列強との遭遇、対峙。また明治期に翻訳紹介され、多方面に大きな影響を与えたヂオスコリデス、ヴェルヌ、ロビダ、ダーウィンらが実用的な知識とともにもたらしたのは、徳川が何代も続いた江戸とは異なる「時間」だったことも本書から学べる。時間という概念がなければ未来予想小説という手法も生まれない。その受容が、列強に追いつけという号令のもと、女権小説や国権小説といった明治独自のジャンル創生につながっていく。なかでも国会開設前夜、民権運動の高まりの渦中に書かれた未来予想型の政治小説群が丹念に紹介されている。
個人的には、幕末期、西洋という「未知との遭遇」が引き金となった奇想譚の弾け具合に爆笑、仰天した――その内実はぜひ本書で。まさに横田順彌を思わせるハチャハチャぶり。著者も指摘するとおり、こうした虚構の傾向は現代日本のサブカル系作品のそれを確かに思わせる。
あるいはこの時代、外国人の「内地雑居」が大いに議論され、同問題をテーマにした近未来小説――日本人が西洋人や清国人と接して暮らすようになったらどうなるのか?――が数多く書かれたという。これは昨今の世界的な労働移民問題とそれに対する文学の動向に通じよう。
ともあれ明治の国づくりに、かくも豊かな虚構の世界が並走していたことは一驚であった。
(慶応大学准教授 新島 進)
[日本経済新聞朝刊2016年5月1日付]
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