おだまり、ローズ ロジーナ・ハリソン著メイドと子爵夫人の丁々発止

2014/10/1付

おもしろいことこの上なし。上質の芝居を見たような思いだった。主人公は女性二人。子爵夫人ナンシー・アスターが雇い主。そのメイドがローズことロジーナ・ハリソン。語り手でもあるローズはヨークシャーの労働者階級の出身。旅行が好きで、メイドになればその願いも叶(かな)うと思った。それは果たされるものの、メイドの仕事は半端ではない。朝から晩まで働きづめ。我慢強く頑固な性格だけに、結局35年間、アスター家に仕えた。

 問題は雇い主である。アスター夫人はもともとアメリカ人で、おまけに離婚歴がある。それが巨富の持ち主であるウォルドーフ・アスターなるアメリカ人と再婚するが、やがてこの夫はイギリスの子爵になる。めでたく子爵夫人の誕生となるが、この女性、とんでもないじゃじゃ馬である。気が強く、弁が立ち、おまけに気まぐれ。ご主人としては最悪である。しかもイギリス初の女性下院議員にもなって、公私ともに大忙し。それでもローズは懸命に仕えるが、余計なことを言おうものなら、間髪を入れず「おだまり、ローズ」が返ってくる。しかし、ヨークシャー出身のローズはめげるどころか、丁々発止のやりとりをする。

 主人公二人の戦いに加えて、二人の脇役がいい味を出す。一人はアスター家のお屋敷「クリヴデン」を取り仕切る執事のリー。カズオ・イシグロの名作『日の名残(なご)り』の主人公を思わせるような人物である。もう一人は子爵のアスター。アメリカ出身でありながら、理想的イギリス紳士のごとく温厚篤実。やや影が薄いものの、活動的な妻を支えて家長としての役割を果たす。

 ローズが語るアスター家の世界には、夫人の親友バーナード・ショーも登場すれば、大嫌いなチャーチルも出てくる。ここで思い出すのは有名な逸話。クリヴデンでの朝食の席で、アスター夫人がこう言った。「ウィンストン、もしあなたと結婚していたら、コーヒーに毒を入れるわ」。チャーチル曰(いわ)く、「あなたと結婚していたら、それを飲むでしょうな」。なお、クリヴデンは、イギリス政界を騒がせたかの有名な「プロヒューモ」事件の舞台でもあった。

 家事使用人の世界を、その内部からこれだけ生き生きと描き出した文章は貴重であり、それを見事な日本語で訳した腕前は激賞に値する。最後に、クリヴデンは1942年にナショナル・トラストのものとなり、今は高級ホテルになっている。

(上智大学教授 小林 章夫)

[日本経済新聞朝刊2014年9月28日付]

おだまり、ローズ: 子爵夫人付きメイドの回想

著者:ロジーナ ハリソン
出版:白水社
価格:2,592円(税込み)