「日本の食料自給率は相変わらず低いようですが、穀物や大豆は遺伝子組み換え(GM)作物の輸入が多いと聞きました」。会社員の話に探偵、深津明日香が反応した。「普段は意識していませんでしたが、調べてみたくなりました」と調査に出た。
■飼料用など 10年で4割増
明日香は農林水産省を訪ねた。農林水産技術会議事務局の鈴木富男さん(49)に会うと「遺伝子組み換え(GM)作物は遺伝子を人工的に改変し、除草剤や害虫に強い性質を持たせた作物です」と説明を始めた。「現在、輸入や栽培のための承認は食用と飼料用それぞれ120品種を超えており、主に海外種子メーカーの日本法人が承認を得ています」と話した。
調査を進めると、種子メーカー世界最大手の米モンサントの日本法人、日本モンサントが茨城県河内町で農場見学会を開いていた。明日香がのぞくと、約7800平方メートルの隔離された農場で害虫に強いトウモロコシや除草剤に強い大豆が栽培されていた。GMトウモロコシは非GMより背丈が高く、害虫の侵食も見られなかった。GM大豆は雑草がきれいに除かれ、大豆の葉が生い茂っていた。
説明にあたった同社広報部の内田健さん(35)は「GMのトウモロコシは家畜のエサに、大豆はしょうゆやサラダ油として使われています」と指摘。「収量の増加や、農薬削減による栽培費用と環境負荷の低減が期待でき、世界や日本の食料確保に重要な役割を担っています」と話した。
■消費者の不安根強く
「GM作物の輸入量はどのぐらいかしら」。GM事情に詳しい宮城大学教授の三石誠司さん(54)に聞くと「輸入相手国のGM作付け比率などから推計すると、トウモロコシや大豆など主要4作物の2013年の輸入量は約1622万トンと10年前から4割増え、4作物の輸入に占めるGM比率は合計で8割を超えています」と教えた。
三石さんは「国別のGM輸入量は、少なくとも6000万トン以上とみられる中国が恐らく世界最大ですが、日本も1000万トンを超す輸入大国です」と説明。日本の食料自給率は13年度に39%。うち飼料用トウモロコシは0%、大豆も10%未満。「日本が飼料用トウモロコシや大豆を輸入する米国やブラジルがGM作物の栽培大国である以上、日本の大量輸入は当然です」
農業技術調査の国際組織、国際アグリバイオ事業団(ISAAA)のデータなどによると、GM作物は13年時点で世界27カ国が栽培し、作付面積は1億7520万ヘクタールと本格栽培が始まった1996年の100倍に拡大している。三井物産戦略研究所で農業を担当する研究員、山口由紀子さん(40)を訪ねると「トウモロコシ栽培のGM比率は世界全体では3割と、まだ拡大余地があります。5割近い大豆も新興国で栽培が増えそうです」と話した。
調べていくと、英コンサルティング会社PGエコノミクス代表、グラハム・ブルックス氏らが経済効果を研究していた。収量増加や栽培コスト低減で12年の栽培国の農家所得は188億ドル(約1兆9千億円)増え、農薬使用量は96~12年で計50万トン(8.8%)削減できたという。
「消費者にはどんなメリットがありますか」。明日香は食品ビジネスと消費者の関係を研究する日本大学准教授、竹下広宣さん(43)に聞くと「世界の人口増加が続く中、消費者にとっては食料価格の上昇を抑制する効果が期待できます」と話した。
国連の推計では世界の人口は50年までに90億人を突破する。18~19世紀の英経済学者トマス・ロバート・マルサスは著書『人口論』で、人口は制限されなければ数倍の勢いで増え続けるが、食料などの生活資源は一定速度でしか増えないと説いた。「最近はバイオエネルギー資源としてのトウモロコシ需要も増え、作物需給の逼迫への対応は大きな課題です」と竹下さん。
一方、経済効果への懸念もある。京都大学教授の久野秀二さん(46)に会うと「除草剤耐性のGM作物を栽培しても、雑草も除草剤に強くなるため、除草強化のコストがかさんでいるほか、機能を高めようと種子価格も上がっています」と指摘した。
国民の不安も残る。GM研究が長い大阪府立大学教授の小泉望さん(51)は「健康被害や生態系への影響は考えにくい」と強調する。一方、食品関係者らへの内閣府の調査ではGM食品を「不安だ」という人は13年に48%。04年(75%)から大きく低下したが、一定以上の専門知識を持つ人の5割近くがなお不安に感じている。こうしたことも反映し、国内では食用・飼料用の商業栽培をする種子メーカーは現れていない。
東京都江東区のスーパー、イオン南砂店。買い物に来た50代の主婦に聞くと「GM食品は数年先でも大丈夫か不安です。豆腐や味噌は国産原料なら非GMなので産地で選びます」。日本ではGM大豆が5%以下の豆腐や、GMトウモロコシを食べた家畜の肉なども表示が要らない。40代の女性会社員は「非GMの表示があれば、そちらを選びますが、不安を言い出したらキリがありません」と話した。
明日香が事務所で「GM表示食品は最後は消費者の判断です」と報告すると、所長が一言。「うちもお客に選ばれる事務所にしないと」
■食品表示基準「甘い」の声も
遺伝子組み換え(GM)作物に関する日本の制度では、大豆やトウモロコシなど8作物、豆腐やポテトスナックなど33加工食品を指定農産物・加工食品に定めている。
食肉や食用油は対象外だ。対象食品についても大豆とトウモロコシの使用量が5%以下の加工食品は表示義務がない。使用量0.9%未満を基準とする欧州連合(EU)との比較で「日本の基準は甘い」ともいわれる。
GM作物に詳しい東京大学の大杉立教授(64)は「間接的だが、消費者は知らずにGM作物を口にしている。知らずに食べている状況は好ましくない」と指摘する。
小売店では非GMの場合に「遺伝子組み換えではない」と任意表示した食品が目立つ。全国30万人超の会員を持つ「生活クラブ事業連合生活協同組合連合会」は非GMだけでなく、1%未満でも混入している場合その事実を任意表示している。
もっとも、使用・不使用いずれの場合でも、表示には生産履歴の調査・検査などのコストがかかる。表示コストを販売者が吸収しない場合は、商品価格に上乗せされることになる。
京都大学の神事直人教授(46)は「重要なのは消費者の支払い意思。支払っても良いと思う商品価格を超えて表示コストを転嫁するのは、個人の経済的満足度の総和である経済厚生を下げることになる」と指摘している。
(経済解説部 福士譲)
[日本経済新聞朝刊2014年9月9日付]
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