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能楽座自主公演「抜殻」 闊達な芸、嘘をまことに

2014/9/18 日本経済新聞 夕刊

先代の八世観世銕之亟(てつのじょう)や観世榮夫を中心に超流派の能楽師が集まった「能楽座」自主公演も今年で20回(8月31日・国立能楽堂)。硬派の企画・反核の能「申楽乃座(さるがくのざ)」も能楽プロデューサー荻原達子の手腕を得て、これら故人が世に問うた過去の偉業だった。

「抜殻」の太郎冠者を演じる茂山千五郎=写真 東條 睦子

片山幽雪の休演で能「半蔀(はじとみ)」は梅若玄祥が代わった。不調で足が利かないものの体幹を厳しく保つ舞いぶりには一切の無駄が脱落。天才肌の玄祥の本質は確実な仕事をぬかりなくしおおせる優れた職人性にある。野村万作の小舞「金岡」が傑作。静止していても内部は絶えず生動する大自在を得た身体。高村光太郎の詩を舞台化した武智鐵二構成「智恵子抄」は新作能の代表で、現在では抜粋の舞囃子(ばやし)として上演を重ねる。観世寿夫の遺(のこ)した名作曲がその生命だが地謡(地頭・観世銕之丞)は「ありがちな既成の謡」に傾斜し、現代語と格闘する切れ味が不足。舞(玄祥の光太郎、大槻文蔵の智恵子)が良くても作意が活(い)かされない。

この日の圧巻は茂山千五郎の狂言「抜殻(ぬけがら)」。ふるまい酒に泥酔した太郎冠者は懲罰のため主人に鬼の面をかぶせられ本当に変身したと思い込む。酔いが醒(さ)めても着面の事実に気づかない設定は理屈で説明できないから現代人が批評的にとらえると暗愚の役となりかねない。千五郎は違う。闊達な芸風は自己と役柄との障壁を吹き飛ばし「お芝居の嘘」を「まこと」に転ずる。「京の町衆」として代を重ねた茂山家はしたたかな自我を内に秘め外面あくまで柔和明快な芸風を培ってきた。腰低く主家に仕えながら内面の自由を失わない太郎冠者は亡き父・千作の名人芸とは別の確かな個性を手中にした千五郎そのものだ。音吐朗々、観客を和楽の境に誘う見事な骨太の男芸である。

(演劇評論家 村上 湛)

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