我慢して我慢して、勝利の美酒に酔いしれる――。それが何よりの楽しみ。スープとビールを飲んだ翌日には、体重はほとんど戻っていた。

プロ野球選手としては食が細かった。「丼飯2、3杯なんて食べたことがない」。夫人も「同僚選手の半分も食べない」と笑う。それでも投げ抜けたのは、故郷・鹿児島と高校時代を過ごした宮崎で養った体力と粘り強さがあったから。

大隅半島の付け根、宮崎県との県境にある鹿児島県曽於(そお)市の出身。実家は農家で、コメやサツマイモ、トマトやスイカなどを作っていた。「スイカを食べるとおやじの味を思い出す。当時は食べ飽きていたが、懐かしい味」。今では見かけることがないほど大きなスイカだった。

収穫後のサツマイモ畑が遊び場。自分で木を削ってバットを作り、ボール遊びをした。おやつ代わりにサトウキビをかじったこともある。忘れられない味だ。

中学で野球部に入り、高校は曽於市の隣、宮崎県都城市まで自転車で通った。片道20キロの舗装されていない道をひたすら走る。1年生のとき1時間以上かかっていた道は、3年生になると45分まで縮まった。「基礎体力はこのとき培われたのかもしれない」

ドラフト1位で指名され、高校卒業後に広島へ入団した。折しもチームは初優勝直後。外木場義郎、池谷公二郎ら先輩投手の速球に圧倒された。速球ではなく制球力、緩急をつけた投球術で勝負する――。技巧派への道が始まった。

石の上にも三年。3年間は頑張り抜こうと心に決めていた。食事は合宿所で出たものを何でも食べた。唯一わがままを言わせてもらったのはカレー。「登板前に食べると胸焼けするので代えてもらった」。勝負の3年目に10勝を挙げ、4年目には17勝。一気にエースへと上り詰めた。

結婚してからは少量ずつたくさん食べるよう心がけた。「ステーキがどーんと出るような料理は見ただけで腹いっぱいになる」。小鉢が5、6品並ぶくらいがちょうどよかった。

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私食店 鯨ベーコンつまんで一杯