知の巨人 佐藤雅美著政治と不即不離に生きた儒学者

2014/7/23

この伝記の主人公荻生徂徠を「知の巨人」と呼んだとき、著者は、徂徠を思想家と政治家との間でどんな座標を与えるべきかひそかに困惑を感じたに違いない。江戸時代中期に生きた荻生徂徠(一六六六~一七二八)は、儒学を政治学に近づけた学者として知られる。本書も徂徠をたんに思想史の流れの中に位置づけるのではなく、現実政治と不即不離の関係に生きて苦労した人間として描くことに工夫を凝らしている。

(KADOKAWA・1900円 ※書籍の価格は税抜きで表記しています)

 徂徠が立ち向かったのは、当時としての「現代」の問題であった。年号でいえば元禄・宝永・正徳・享保年間、将軍でいえば五代綱吉から八代吉宗まで、貨幣インフレから緊縮財政のデフレ経済へと、世の色調が対照的に入れ替わった多事な二十五年間が徂徠の活動期である。徂徠の立ち位置は江戸封建社会が初めて商品経済に直面し、貨幣の力が市場を制覇してゆく過程の入口であった。

 徂徠の父親の方庵(ほうあん)は綱吉に仕えた医師だったが、なぜか綱吉の勘気に触れ、一家は江戸を追放される。徂徠は父に従って房総半島の片田舎で儒学を独学で修め、元禄五年(一六九二)に江戸に戻った時にはすでに一家の見に達していた。

 気まぐれな専制君主であり、多分に衒学(げんがく)的な学問癖もあった綱吉は徂徠を重宝し、また自分の寵臣(ちょうしん)柳沢吉保に仕官させるなどこの学者を大切にした。この時期の徂徠はまだ幕府教学というべき朱子学を信奉していたが、余人の追随を許さぬ特技があった。「唐音」「華語」つまり当時の中国語の原音言語で儒学の古典が読めたのである。儒学は超時代的な「永遠の」真理を解く教説ではなく、どこまでも特定の歴史の中で生まれた独自の政治の学問である。独自の創見であるいわゆる徂徠学に開眼したのは、晩年の享保年間になってからだった。徂徠学の要点は、朱子学のように修養して道徳的な聖人たることをめざし、その結果、仁政を行うのではなく、理想的な政治は天賦の能力をさずかった聖人が制作した治術の体系だと主張することにある。

 しかし、徂徠学はあまりに原理論的すぎて現実の政治的要請の間尺に合わなかった。時代はすでに八代将軍吉宗の治世になっていた。米価の構造的低落に苦しみ、倹約政策の施行に熱心だったこの権力者にとっては、貨幣経済こそが武家社会の真の敵であり、その根本的な治作は「純粋封建制への回帰」であり、武士の農村土着であるとする徂徠の提言は有難(ありがた)迷惑な意見ですらあった。

(文芸評論家 野口 武彦)

[日本経済新聞朝刊2014年7月20日付]

知の巨人 荻生徂徠伝 (単行本)

著者:佐藤 雅美
出版:KADOKAWA/角川書店
価格:2,052円(税込み)

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