寂しい丘で狩りをする 辻原登著追い/追われる孤独な他人たち

2014/5/7

なんと魅力的なタイトルだろう。詩情がただよい、ハードボイルドな孤独がにじむ。

 冒頭には、戦場を体験してしまった者はもう普通の狩りでは満足できない、「狩りをするなら人間狩りだ」というヘミングウェイの物騒な反語が掲げられている。

 そして私は、「寂しさの歌」という金子光晴が戦争中に書いた詩を思い出す。日本の風土と暮らしにつきまとう寂しい情緒を数え上げた詩人は、誰のせいでもない、「みんな寂しさがなせるわざなんだ」、寂しさが庶民に銃をかつがせ出発させるのだ、と歌っていた。

 犯罪小説である。一つの犯罪の判決文から始まり、結びのもう一つの判決文へと息もつかせず進行する。探偵も登場するし、書き方も乾いている。たしかにハードボイルドだ。

 自分をレイプした押本史夫を告訴した野添敦子は、7年後、出所した押本の復讐(ふくしゅう)におびえる。押本は敦子の所在を執拗に探しまわり、敦子に依頼された女性探偵、桑村みどりがその押本を見張る。だが、みどりも久我春彦という交際相手の暴力に苦しんでいて、久我がみどりを尾行する。1997年、ストーカーや性暴力に対する社会の認識がまだ甘かった時期である。

 女たちは逃げ、男たちが追う。男たちの暴力衝動の背景には暗い寂しさがほの見えるが、寂しいからと狩られてはたまったものではない。「寂しさ」に背中から押されるだけではだめだ、「寂しさ」の根源と正面から向き合わなければならない、と金子光晴は書いていた。では、寂しい男たちに追われる女たちはどうするのか。

 この社会は孤独な他人同士の集合になってしまったようだ。寂しさに耐えかねてうかつに関係を作ると危険を招きかねないが、回避するにはますます孤独に身を閉ざすことになる。だが、逃げる者が閉ざそうとすれば追う者はこじ開けようとする。押本が敦子の「個人情報」を手繰り出していく過程にはぞっとさせられるが、みどりだって押本の部屋に忍び込んで盗聴器を仕掛けたりするのである。

 ところで、古い映画フィルムを探すのが敦子の仕事である。その探索の焦点は、山中貞雄の幻の初監督作品『磯の源太 抱寝の長脇差(ドス)』。彼女もまた、一方的に追われるだけでなく、何かを追う存在でもあったのだ。随所に挿入されるフィルム探索のエピソードが、追い/追われる押本と敦子の関係に意外な逆転を作り出している。辻原登らしい知的な仕掛けである。

(文芸評論家 井口 時男)

[日本経済新聞朝刊2014年5月4日付]

寂しい丘で狩りをする

著者:辻原 登
出版:講談社
価格:1,728円(税込み)

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